学科紹介:環境工学科 教員LETTER

森林の「窒素飽和」とは???

環境工学科 教授 駒井 幸雄 Yukio KOMAI

8年ほど前になりますが、朝日新聞に「森林もメタボ化…排ガス窒素「食べきれず」渓流に影響」(朝日新聞2009年6月14日)という記事が掲載されました。要約すると、大都市周辺の渓流に、排ガスに含まれる窒素酸化物が長年降り注いだ結果、窒素を栄養分として吸収している森が窒素飽和の状態(森林のメタボ化)になることで、森が吸収しきれない窒素が川に流れ出ている可能性があり、「森のメタボ化」によって窒素流出が進むと、森の活力が失われ、生態系にも影響が出かねない恐れがあることに加えて、流出した窒素がダムや湖沼などに入ると富栄養化を生じ、プランクトンの異常発生などによる水質悪化を招くおそれがある、という内容でした。この記事の中で、渓流水の窒素濃度が高いことを明らかにした例として、私達の水域環境研究室のことが紹介されました。
水域環境研究室では、地上に降った降水が河川を経て閉鎖性水域(湖沼や海域の湾など陸地で取り囲まれ水の交換性が悪い水域)に至る過程を通して、どのように水質が変化し、流入する水環境にどのような影響を与えるのかということについて、フィールド調査を基本とした研究をしています。上述の森林の「窒素飽和」は、私たちの研究室が取り組んでいるテーマの一つです。森林生態系の中では、降水に含まれている窒素は植物によって吸収・同化され、森林を構成する地上の植物と土壌の中に蓄積されるので、一般に、渓流水の窒素濃度は降水よりも低くなります。つまり、渓流水から高濃度の窒素が流出する「窒素飽和」は、森林生態系にとって“異常な”現象であり、水環境にも影響する大きな問題です。水域環境研究室ではこの「窒素飽和」について、大きく分けて、比較的流域面積の小さい森林(森林小集水域といいます)を対象とする場合と、府県を単位として広域的な範囲の渓流水の調査をする場合の二つの研究を行ってきました。

森林小集水域を対象とした研究では、大阪平野の東にあって奈良県との府県境である生駒山系の、大阪平野に面した高安山(大阪府八尾市)の一角に、面積の小さい集水域(そこに降った雨は全て一つの流れに集まる区域)を設定しました。この高安山森林小集水域において、空き地に降る降水(林外雨といいます)と、一旦樹木の葉にあたって下に落ちてくる雨(林内雨といいます)を集め、そこに含まれる窒素を測定し、大気からどれくらいの量の窒素が森林にもたらされている(沈着)のかを調べました。同時に、この森林小集水域から流出する渓流水の流量と濃度を少なくとも週1回の頻度で数年間測定しました。その結果、この高安山森林小集水域では、林外雨として外部からもたらされる全窒素量は平均7 kg/ha/yearであり、一方、渓流水として平均9 kg/ha/yearが流出していることが分かりました。差し引きすると、高安山森林小集水域では、降水によって大気経由で入ってくる窒素量よりも、渓流水を通して出ていく窒素量が多いことがわかりました。このことは、高安山森林小集水域はすでにいわゆる「窒素飽和」状態にあることを示唆しています。一方、林内雨の全窒素の沈着量は平均29 kg/ha/yearとなり、林外雨の約4倍も多い窒素が高安山森林小集水域に沈着していました。林内雨は、樹木の葉についた大気中のガス、エアロゾル、粉じんなどに含まれている窒素が降水によって洗い流されるので林外雨よりも窒素は高濃度になります。これだけ大量の窒素が年々沈着していることから、将来、この地域の森林生態系に何らかの悪影響が出てくるかもしれず、今後の変化を注意深く見ていく必要があるでしょう。

もう一つの広域的な研究としては、近畿・中国・四国・九州北部における2府16県の渓流水の調査を行っており、九州中南部を除く西日本(以下、西日本とする)の渓流水の窒素濃度の分布の実態が明らかになりました。この結果に基づいて西日本における渓流水中の硝酸態窒素の濃度分布を俯瞰すると、1 mg/L以上の高濃度であった渓流水の地点は、グループとしてまとまっていたりあるいは点在していたりと地域によって様々で、必ずしも一定の傾向を示しているわけではありませんでした。各府県ごとの平均値を比べると、相対的に福岡県、香川県や大阪府が高く、広島県や京都府では低いという結果でした。こうした渓流水中の高濃度の窒素の分布には、一体どのような要因が関わっているのでしょうか?

一口に森林といっても、場所によって自然的な条件も社会的な条件も大きく異なります。例えば自然的な条件としては、気象(降水量、気温、主な風向、積雪の有無など)、地形(集水域の大きさ、標高、傾斜、集水域の大きさや向きなど)、地質(火成岩・堆積岩・変成岩の分布状況やそれぞれの形成された年代による違いなど)、土壌の種類、植生(針葉樹、広葉樹、常緑樹、落葉樹、自然林、人工林、樹齢など)があります。社会的な条件としては、大気汚染物質の影響(濃度、沈着量、大陸からの汚染物質の遠距離輸送)があり、大気降下物に含まれる窒素化合物の人為的発生源は、家庭、自動車、船舶、主要道路、工場・火力発電所・焼却施設、肥料、家畜の糞尿など、多種多様です。また、森林の渓流水への人間活動起源の排水の影響がないように、流域に人家、農地、畜舎等がない地点を選ぶ必要があり、さらに砂防堰堤による影響がないことも必要です。そこで、私たちの研究室では、広域・高密度の調査に基づく窒素濃度の分布と、GIS(Geographical Information System; 地理情報システム)やモデルによるシミュレーションの結果を合わせて、さまざまな自然的・社会的要因との関係について検討を進めています。渓流水中の窒素が高濃度になっている原因は何か?一体どのような要因が渓流水の窒素濃度に影響しているのか、換言すれば窒素飽和の原因は何かが明らかにされることが期待されます。


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