淀川ワンド群の形成・衰退とその生態学的意義

FORMATION AND DECLINE OF “WANDO”

IN THE YODO RIVER

AND ITS ECOLOGICAL MEANINGS

 

 

松波 由佳1・綾 史郎2 ・矢田 敏晃

Yuka MATSUNAMI, Shirou AYA and Toshiaki YATA

1 学生員 大阪工業大学大学院 工学研究科土木工学専攻(〒535-8585 大阪市旭区大宮5-16-1)

2 正会員 工博 大阪工業大学 工学部土木工学科 (〒535-8585 大阪市旭区大宮5-16-1)

大阪府立淡水魚試験場 (〒572-0088 大阪府寝屋川市木屋元町10−4)

 

 

The Yodo River has been improved for the flood protection and the water utilization by using the modern technology since 1874. Those improvement works destroyed the stagnant water regions and gentle current regions which provided the precious habitats for fishes and emergent plants. On the other hand, a lot of constructed groins made “Wando” water regions which became the substitutes for stagnant regions and also the habitats for the various kinds of fish. During the last 30 years, most of them were lost by the improvement works, and the water characteristics in “Wando” are being changed and the habitats are endangered. This paper discloses how and why “Wando” can be important and has provided precious habitats for the last 130 years, and how they are declined in recent years. Finally, the ecological meanings of “Wand” and restoration measures for recovering its ecological function are discussed.

Key Words : ”Wando”, river ecosystem, vegetation, biotope, habitat

 

 

1.はじめに

 淀川は古来より治水・利水のための河川改修が進められてきた河川として著名であり 1), 2),また,生息する魚種の豊富さや貴重種の生存する水系としても知られている.絶滅したと思われていたイタセンパラが1970年前後に淀川のワンド群で再発見されたが,それ以降,ワンド群が淀川に生息する魚類にとって重要な生息場であることが深く認識され3),ワンドの保全と新設が図られてきている.我々は前回のシンポジウムで,明治以来の淀川の河川管理と改修の歴史を振り返るとともに,河道がどのように変貌・改変されてきたかを明らかにし,河川改修の中でどのようにワンドが形成され,また,失われてきたかを明らかにした).しかし,高々130年程度の歴史しかなく,しかも,人工的な河川改修工事に起因する淀川のワンド群に何故多種類の魚類が生存し,何故イタセンパラの最後の生息水域の一つとなっているのか等については,未だ明らかではない.また,1970年代以降の河川改修に伴い,多くのワンドが失われたが,残されたわず のワンド群も近年の質的変化は著しく,関係者の間ではワンドの機能の存続が危ぶまれている. 
  このような状況より,本研究では古代からの淀川の姿を振り返ることにより,如何にしてワンドが重要で貴重な魚類の生息場となり得たかを考察した.また,近年の淀川の水理・水質環境の変化と淀川本川とワンドの魚類相の変化について述べ,最後に,望ましい淀川の生態環境の在り方について考察した.


2.淀川河川景観の変遷とワンド群の形成

(1)淀川の原河川景観

 縄文時代,琵琶湖から流れ出た宇治川は京都盆地南部の旧巨椋池周辺で木津川,桂川と合流した後,枚方下流で海(旧河内湾,現在の大阪平野)に注いでいた.河内湾は淀川,大和川の流送土砂により次第に埋めたてられ,汽水湖である河内湖( 4世紀半ば)となり、さらに堆積が進んで深野池、新開池となった.16世紀末には左岸に豊臣秀吉により文禄堤が建設され,左岸氾濫原と淀川は切り離された.18世紀初期には大和川が流路変更により切り離され,深野池などが残された.
 江戸時代では地図(伊能中図( 1820年頃)),絵図(淀川両岸図巻(1765年),東海道分間延絵図(1800年頃))などに河道形状,河川景観を見ることができ,淀川の平面形状は18世紀中期以降,明治の淀川改良工事(1897年〜)まで大きく変わっていないこと,水流はほぼ河幅の全幅に渡って描かれている部分も多いが,河道内には多くの中州や寄り州が存在したことが知られる.図-1は1874(明治6)年から始まった淀川修繕工事に先立って,デレーケらによって測量された地図より作成した鳥飼(淀川距離標18km)付近の横断図である.川幅は約600mで,左岸側に最大水深8尺(約2.4m)程度の澪筋があり,中央部,右岸側にも中州によって分断された流路があることが分かるが,極めて浅く,この断面では水流は川幅の極く一部しか流れていないことが分かる
(2)  近代河川改修とワンド群の形成

 淀川の近代河川改修は 1875年からの淀川修繕工事に始まる.この工事は淀川の舟運のための航路確保を目的とした低水工事であり,両岸から水制工を張り出して流路を狭めることにより,掃流力を確保し,水深を維持しようとし,下流の天満橋から伏見に至るまで隈なく,両岸に水制工が建設された.97年より淀川改良工事(高水工事)が始まり,新淀川の開削,長柄堰の建設,守口〜毛馬付近の流路の付替え,3川合流部の付替え,巨椋池の分離が行われ,現在の淀川の原形が作られた.長柄堰と毛馬洗堰により汽水域は堰下流に限定されるとともに,堰上流には湛水域が生じた. 
 これらの改修工事以降も低水/高水工事は続けられた.
1939年には計画洪水流量が50m3/sに改訂され,堤防の拡築が行われるとともに,宇治川水系には大峰ダム(1927年),天ヶ瀬ダム(1965年)が,木津川水系に高山ダム(1969年)等が建設され,両支川水系からの流砂量は減少し,河床低下が起こった.また,洪水により破壊された水制工の補修や新設,航路の浚渫等の低水工事も続けられた.
 当初水制工の内部は水域であったが,水制工上やその内部周辺には出水により土砂が堆積し,堆積の多いところには高水敷が形成され,低水路は細くなってきた.土砂堆積の少ない所や堆積が侵食された所は水域として残り,低水路に開口したり,隣接するワンドとなった.低水路から離れた高水敷上には池のような止水域が残り,タマリとなった.なお,ワンド,タマリにはこのような水制起源のものや,河川改修に伴う浚渫土砂採取跡に水が溜まったもの,流路跡が分断されたもの等がある.
  1960年代にワンドは天満橋から伏見にかけて500以上あったと言われているが,図-21971年に撮影された城北ワンド群の32番ワンドを示した.水深は浅く,植生も繁茂せず,水制工の上面が水面上にむき出しになっている様子が見られる.


3.淀川ワンド群の衰退


(1)  流量改定とワンド群

  1971年に淀川水系工事実施基本計画が改定になり,計画洪水流量が12000m3/sに増大され,疎通能力の向上を図るため低水路の掘削,拡幅と整斉,長柄堰に代わる淀川大堰の建設,低水護岸や湾曲凸岸部での高水敷の建設が行われるとともに,高水敷の利用率向上のため高水敷の嵩上げ等が行われた.これに伴い,ワンド,タマリは埋め立てられ,水制工はほとんど取り壊され, 30余りのワンドしか残らなかった.図-31972年と1995年の12kmの横断図を比較し,低水路の掘削,拡幅と高水敷嵩上げの一例を示した.低水路の河積が著しく増大したとともに,水位も上昇していることが分かる.

(2) 水位の経年変化

 この河川改修と相前後して,イタセンパラが再発見されたことから,城北ワンド群(距離標 12km),庭窪ワンド群(距離標17km)はかろうじて保存された.しかし,河川改修による河積の増大と淀川大堰の堰操作法の変更により,城北ワンド群の環境は大きく変質した.
 図-41972年より1995年までの過去24年間にわたる淀川大堰のある毛馬地点(距離標10km)での年平均水位の変遷とその標準偏差を示したものである.1964年頃には平水位OP+2.5m程度とされているが,1972年には年平均水位はOP2.7m前後であったものが,1985年には年平均水位OP+3.0mを越え,24年間で約0.4m上昇した.同図には年間の日平均水位の変動を標準偏差で示しているが,1972年当時には±0.5m程度の変動があったものが,1996年には±0.1m程度に減少した.
 
図-5図-6に各年毎の「年平均水位+0.25m」と「年平均水位+1.0m」の2種の水位が1年間に生起する頻度とその再起期間の経年変化を示した.水位が一定水位を超える回数は年々減少しており,「年平均水位+0.25m」の水位は1970年代には年間の生起回数が10回を越えていたが,近年の過去10年間では年に1回程度しか生起していないことがわかる.「年平均水位+1.00m」の水位は1970年代には年間数回あったが,現在ではほとんどないことも知られる.また,図-6より「年平均水位+0.25m」を越える水位上昇は1985年頃までは1030日の間隔で起こっていたが,1988年以降70日程度以上の間隔が開いていることが分かる.以上のことから1980年代後半より城北ワンド付近の水位の変動幅が極めて少なくなっていること,年間の水位変化の頻度も著しく減少し,その間隔も長くなっている.
  図-719955月の出水時における毛馬地点での水位,上流の枚方地点(距離標約26km)での流量および水位の,各時間値のハイドログラフを示したものである.この出水では513日に4800m3/s516日に2500m3/sと二つのピーク流量を記録している.この流量変化に伴い,枚方水位は OP+3.2mからOP+9.0mOP+7.0mまで上昇しているのに対し,城北ワンド付近の毛馬では流量が約4000m3/sを超えるまで水位の変化はほとんどなく,4800m3/sのピーク流量に対したわずか1.5m程度の水位上昇を記録したのみであり,2500m3/sの出水では水位は全く変化しないことが分かる.すなわち,城北ワンド群は現在では4000m3/sを越える出水でなければ冠水しないことも知れる.なお,4000m3/sの流量は明治以前には破堤氾濫している流量である.
  図-81885年から現在までの主要な洪水の枚方最大流量を示したものである.1885年から1970年にかけて大きな洪水は20回を超えているが,計画洪水流量が改訂された1971年以降,ワンドが冠水するような4000m3/sを超えるような出水は僅か2回しか生起していないことが知れる.
 現在のワンドの風景を 図-9に示す.水際はマコモ,ヨシで,高水敷や水制上はヨシ,セイタカヨシ,オギなどの植生で覆われており,水位変化の減少や冠水の減少のため,植生が繁茂したと考えられる.

(3)  水質の変化

 淀川下流部の水質は古くから計測されているが,1960年〜1975年にかけては最悪であった.その後,流域の下水道整備が進み,BOD,濁度,アンモニア性窒素等の物理・化学的指標の値は低下しつつあり,水質改善が進んだ5).一方,1974年と1996年頃の39番ワンドの水質を図-10に示すが,濁度で10度,T-N0.6mg/l程度高くDO4.5mg/l低くなっており,ワンドの水質が悪化していることがわかる6)


4 生息魚類相とその推移

(1) 魚類相と生息分布 

 淀川の魚類は
1930年代より,ワンドの魚類は1960年代以降より生息調査が行われ7-12),現在までに汽水域,淡水域合わせて,淡水魚76種,海水魚22種の生息が記録されている.わずか27kmの淡水域には1960年代以降,カワムツ,オイカワなどの流水性の魚12種,タナゴ類などの止水性の魚35種,ウナギ,ギンブナ等の両水域に棲む魚16種の計1663種が確認されている.
 これらの生息確認魚種を総体的にみると, 1)純淡水魚が非常に多い13) 2)4/5は止水性魚で,流水性魚は約1/5である14)3)コイ科魚類が非常に多い15)4)イタセンパラのような地域限定種やワタカなどの琵琶湖・淀川水系特産種が生息する15)という特徴がある.  1984年の調査では淀川本川で39種,ワンド域で44種が確認され,本流の流水性の魚のすべてはワンドでも確認された12).このことからわかるように,現実にはこれらの魚種は本流とワンドの両水域に共通に生息する魚種と,カワバタモロコなどのようにワンドのみで確認された魚種が大部分であり,本流のみで生息する魚種は少数である.また,ある調査では曳網1回の平均採取個体数はワンドで240.8個体,本流で46.2個体であり,本流域での生息密度はワンドの約1/5に過ぎなかった.
 また,本流域の魚種でも産卵期や稚仔魚期などの生活史の一時期や洪水時などにワンドで生活することも多い.このように,淀川には多種類の魚が生息するものの,そのほとんどはワンドを中心に生息しており,「淀川の魚=ワンドの魚」である.

(2)魚類相の推移

  1960年代より40年間の生息状況の推移をまとめると,本流域とワンド域で60年代には35種,7080年代には夫々48種,49種,90年代には33種の魚類の生息が確認されているが,継続して生息確認された魚種は21種であり,1960年代には見られなかったアユが復活したり,逆に近年見られなくなった魚種もあり,40年間で魚種相は変化している.図-111972年から1993年までの本流域とワンド域の魚類相の変化を示した.本流域では20年前には採集魚の数%にすぎなかったコウライモロコが今では30%以上までに増加した.代わりに20年前にはワンド域で最も多かったフナの仲間や,本流域のオイカワは著しく減少している.また,以前に見られたようなワンドと本流による生息魚種の違いも少なくなる傾向がみられる16)


5.淀川ワンド群の生態学的意義

(1)河川生態環境の一般的特性

 河川とその周辺の生態環境の形態的な一般的特徴として,以下のような事項を挙げることができる.
1) 空間が表流水(一般河川流のような流水域,ワンド,堰などの湛水域等の止水域),地下水等の水圏,水圏の周囲の自然堤防,高水敷等の地圏および水圏と地圏の境界である水際帯から構成される.
2) 水圏,水際帯,地圏,それぞれが変化に富み,また,その組み合わせも多様である.
3) それらは大小の時間スケールと空間スケールを持ったイベントにより,変貌し,更新される.
 言葉を替えて言えば,様々な地形(土の種類,標高)と様々な流れ(水深,流速,面積,水質)により多様な景観が構成され,それは緩やかに流下方向,川幅方向に連続的に変化する.これらの景観は様々な時間,空間のスケールを有する流量,水位の変化に伴い,更新される.すなわち,数年,数十年, 100年程度の再起期間を有する大,中出水などによる経年的変化,あるいは再起期間1年以下の小出水,雨季,乾季に見られる周年的変化に伴う景観の更新である。魚類の繁殖, 生育活動には1年程度の小出水が最も影響し,また,植生は再起期間に応じて異なった群落を構成する. 

(2)
ワンド誕生以前

 ワンドが誕生する以前にはワンドとその周辺に現存する止水性魚類にとって,琵琶湖,巨椋池,淀川河道内の止水域や緩流域,後背湿地などの水域が主要な生息域であったと推測される.流砂量が多く,水路幅も広く,水深の浅かった淀川では至るところに様々な淀み,タマリ,入江が存在していた.それらは出水に応じて冠水し,また,流砂量に応じて場所を変え,止水性魚類や抽水性植物群落の生息場であったであろう.

(3)ワンドの生態機能とその変質

  1874年からの近代河川改修によって自然生成のタマリは失われ,近代化の中で後背湿地は都市化し,巨椋池は埋め立てられ,農地となった.しかし,低水工事により新しく建設された水制工によって淀川の両岸30kmに数多くのワンド群が誕生した.これらのワンド群は浅く,小出水時でも冠水し,土砂の堆積を生じ,タマリとなるものもあった.その数と規模は自然生成のタマリや入江をはるかに越えるものであったと思われ,ワンド群はそれらと同等かそれ以上の生態学的機能を有し,代替機能を果たしていたものと考えられる.
 宮地は、水制工は魚に対する水質汚濁の悪影響を弱め,このような施設を積極的に設けることの有益性を述べ,ワンドの持つ機能を始めて明らかにした 17).水野は、池の方が多くの種類が生息し,池が幼魚の生息場として重要な役割を果たしていることを明らかにした18).大家らは,ワンドには産卵床となる植生が見られ,泥,砂底,石積みや沈礁があり2枚貝も多数生息し,本流およびワンドの魚類の重要な産卵場であると指摘している10).また,水野ら10),18)はワンドの水は淀川からの伏流水や地下水と洪水時にあふれた水から成り,洪水初期には底泥が巻き上げられて水質が一時的に悪化するが,洪水後は,汚濁は減少し,水質は良くなる、としている.さらに、左右両岸の池に取り残された魚は,ワンドの魚相を豊富にするとし,冠水の重要性を指摘している.洪水時のこのような高水敷の冠水は魚類の産卵を誘発する重要な現象でもある.また,大雨で増水した時は,魚は開口部を通って本流からワンドへと避難し,本流の魚の産卵場所や稚魚の生活場所となった.
 しかし, 1970年代以降3.で述べたように水位変化や冠水の減少により,本流とワンドとの水の交換,魚類の交流の機会は減少し,ワンド内の水質や底質は更新されることなく悪化し,本流域,ワンド域での魚相も変化,減少している.


6.結論


 琵琶湖,巨椋池という天然の遊水池と氾濫原,後背湿地であった大阪平野と連結した淀川水系は,古代より,流水性,止水性の魚類が生息した.近代河川改修は自然の止水域を奪ったが,改修に伴い形成されたワンド群は止水域と同等の機能を有し,代替え機能を果たした.しかし,現在ではワンド数も激減し,ワンド水深の上昇,河積の増大に伴う水位変化の減少,高水敷の嵩上げによる冠水頻度の減少,低水路の拡幅と掘削に伴う低湿地の減少などにより,本来の機能を失い,質的にも変わり,これらの機能の回復が緊急の課題となった.また,以上のことから河川環境の回復にはワンドなどの構造物の保存・建設だけでは不十分であり,河川特有の原景観,流速や水位などの河川の水理・水文特性を考慮しなければいけないことが示された.
謝辞: 本研究を進めるに当たり, 長田芳和大阪教育大学教授をはじめとする淀川水系イタセンパラ保存研究会(小川力也会長)における議論に謝意を表します.また資料を提供して頂いた関係各位に謝意を表します.

参考文献
1)建設省近畿地方建設局:淀川100年史, 1974.
2)建設省淀川工事事務所:淀川工事事務所管内図, 1996.
3)矢田敏晃:淀川の魚類相と生息環境, , 368月号, pp.26-31, 1994.
4)綾史郎, 斉藤あずさ, 福永康彦, 西谷大輔:淀川ワンド群の形成と変遷, 4回河道の水理と河川環境に関するシンポジウム論文集, pp.89-94, 1998.
5)綾史郎, 福壽真也他:平成8年度大都市の水循環動態の分析に基づく水質保全に関する研究報告書, 瀬戸内海環境保全協会, 1997.
6)胡木伸予, 綾史郎:淀川・城北ワンド群における水質観測(その3, 52回年次学術講演会講演概要集第7, pp.152-153, 1997.
7)上野益三:淀川水系の魚類等研究史, 淀川水系生物調査報告書(第二報), 1973.
8)水野寿彦, 長田芳和他:大阪府下の川と魚, 大阪府水 産林務課, 1974.
9)紀平肇, 長田芳和:魚類及び貝類, 淀川の河川敷における生態調査報告書, pp.202-251, 近畿地方建設局淀川工事事務所, 1974.
10)大家正太郎他:淀川の魚類及び環境と改修工事による影響について, 大阪府淡水魚試験場研究報告3, 1975.
11)近畿地方建設局淀川工事事務所:淀川ワンド生態調査作業報告書, 1981.
12)矢田敏晃, 加藤喜久也:淀川の魚類相と生息状況, 大阪府淡水魚試験場報告9, 1987.
13)近藤康二:淀川水系における汚水の生物に及ぼす影響(第一報), 水産学雑誌, No.35, pp.70-96, 1932. 
14)宮地伝三郎:京都府下の淡水魚, 京都府史蹟名勝天然記念物調査報告書, pp.16, 1935.
15)東光治:淀川の魚, 大阪博物学会誌25記念号,  pp.26-31, 1949.
16)大阪府立淡水魚試験場:淀川の魚
17)宮地伝三郎:京都府下の淡水魚宮地伝三郎:桂川と三川合流以後の淀川における水質汚濁が漁業生物に及ぼす影響の実態調査,
  水産庁漁政部漁業振興課
, 1961.
18)水野信彦:大阪府の川と魚の生態, 大阪府下における 河川漁業権漁場の実態調査報告書, 大阪府水産林務課,  1968.
19)山根哲郎:平成のワンドづくり, 多自然型川づくりシンポジウム論文集, pp.49-54, 1991.
  図-12:ワンド構造の一例

(1999.4.26受付)


戻る