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東扇会(大阪市立 環境科学研究所(旧 衛生研究所)退職者の会)への寄稿(2010)です。
 
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だんだんずるくなり、すれてきました。
 
平成14年3月退職 渡辺信久(現 大阪工業大学 教授)
 
 
大阪市環境科学研究所では、平成4年4月(28歳)から平成14年3月(38歳)まで、10年間お世話になり、その後、京都大学で4年間、大阪工業大学で4年間、教員として働いています。この間に、さまざまな経験をし、ずるくなり、すれてきました。確実に、ひねくれ意地悪じじいへの道を歩んでいる軌跡を紹介します。
 
28歳の時、環科研での研修の初日、同期の角谷さんと一緒に、当時の庶務係長 柳唐さんから、講義を受けました。とてもいい話をしてくれました。「ウソは絶対にあかん。ウソは必ずばれる。われわれ事務屋は、数年経ったら異動していくから、うまく逃げることもできるか知らんが、君たち研究員は、まず異動することはない。何十年も顔を合わせる人にウソをついてはならん」。今でも、このお話しは、ことあるごとに思い出します。でも、少しずるくなりまして、「あまり語らない」をおぼえました。
 
30歳の頃、都市ごみ焼却由来のダイオキシン類が問題になり、その調査を環科研で総力を挙げて行うことになりました。目をきらきら輝かせて、「きっと、みんな頑張ってくれるんだ」と本心から思って、排ガスサンプリングの現場で先頭に立っていたつもりでした。しかし、優しい先輩(鈴木さんと岡部さん)からは、「職場の和を乱さぬため、他の課と労働負荷に差がでないように、気をつけなさい」と助言をいただきました。それまで、「公僕は社会のために実を粉にして働く」と、勝手な正義感を抱いていましたが、いわゆる「空回り」になってはいけません。環境とかリスクとか、あまり、真剣に向き合って友人を失うような人生は楽しくないのだと、最初は、自分に言い聞かせ、しだいに、自発的にそう考えるようになりました。それから、2〜3年経って、「ダイオキシンは、環境ビジネスなのだ」に気づき、それに振り回された自分の愚かさに気づきました。しかし今でも、器量の小さい私は、それを振り回すほうに回ることができません。
 
34〜35歳のとき、ドイツ ミュンスターで客員研究員をしました。ドイツでは、それまで、手がけたことのないプラズマ発光分析装置の開発をしました。新しいテーマは冒険です。でも、そうならざるを得ない事情があったのです。白状すると、日本である程度成功したテーマを「なぞる」つもりでした。しかし、アテにしていた受け入れ先研究機関の研究者が、クビになってしまったのです。しかし、ミュンスター行きの手続きを進めているところでしたので、いまさらおさまりがつかず、「ミュンスターで何かしないと行けない」状態になり、その研究所で進行していたテーマにすがりついたのです。結果的に、いくつもの幸運に助けられて、満足な成果を収めることができました。これで、「どんな分野でも、やればできる」と妙な自信をつけてしまったようで、現在、複数の分野に首をつっこむようになりました。しかし「柳の下のドジョウ」は、往々にして、捕まえるのに苦労します。最近は、「あれしたい。これしたい。」気持ちがはやるものの、やり遂げる根性が続かないようになってきました。年を取ったのでしょう。
 
いま、理系の単科大学で教えています。理系というと、マスコミあたり(この世界の圧倒的マジョリティーは文系なんですね)では、ノーベル賞とか万能細胞とか、もてはやす対象のように扱いますが、実質は地味なものです。たとえば、道路で何気なく皆がふみつけるマンホールは何のためにあって、誰が管理して、それがなかったらどうなるのかを、考えたことはありますか? ノーベル賞が妙に身近だった京都大学在職中には、マンホールの話なんて考える余裕もなく、うわついた研究資金のために二枚舌を使って、文系の人に媚びを売る毎日でした。しかしいま、働くとはどういうことか、社会を維持するとはどういうことかに、気づいたのです。もうここまで言えば、わかってくれるでしょう。学生の就職先を自分のことのように考えるようになったのです。社会を真に支えるのは、新しい原理を発見する天才科学者でもなく、資金をちらつかせて政治力を振り回すエリート諸氏ではなく、名を残すことはないかも知れないけれどプライドをもって働く中堅技術者なのです。そのことに気づいた私は「地上の星」を歌う資格に、一歩、近づくことができたように思うのです。
 
人は、年を取るにつれて、発言が増え、過激になり、しばしば周囲から人が離れていきます。そういう事例を、いっぱい見ています。私も、その例から逃れられないのかも知れません。いっぱい書いても、書けば書くほど、最後まで読んでもらえなくなるようになるのです。与えられた文字数いっぱいに文章を書かない方がいいに決まっています。そろそろ、やめなければいけません。
 
実は、この文章を書くときに思い余って、次のように書いてしまい、余りの下品さがいやになり、削除することにしたのですが、やはり読み直すと、言外の意味が多く含まれる文章で、もったいないので、残させてください。
 
『社会の上流で漂って生きているエリート達や、マネーゲームで他人の生き血をすする実業家と称する何もしない人達を、心底、呪うようになりました。そうだ、そんな人達だけを吸い込むマンホールを発明すればいいんだ! 地上のブラックホール!』