当世大学生気質

『昔も今も人類は一つ、地球も一つ』
 大学生が変わったというのは嘘だ。
無気力な怠け者の大学生は昔もいた。勤勉な学生は今もいる。ただし、方向性に戸惑う学生が多いのは事実だ。道がハッキリすれば、歩き出せる。

A 最近のシューカツ学生気質(就職課課員の嘆き)

@就職活動を「シューカツ」と呼ぶようになったのはいつからだろう。用例実証主義者としては気にかかるところだが、もっと気にかけるべきことは「シューカツ」学生の気質の変化だと、指導にあたる教職員は嘆く。以下にその嘆きの一端を記す。
A全般的特徴としては、就職活動を学生自身が自覚的に捉えていない。
B個別具体事例
1 最低限のルール(挨拶・お礼などの基本的な事柄)が守れない。
2 敬称の付け方、宛名の書き方などの基本事項(心得事)を知らない。
3 履歴書は丁寧に書くものだという認識がなく、「書けばいいのだろう」と言わんばかりのものを出してくる。
4 履歴書を修正液で修正することが、なぜいけないのか理解できていない。
5 具体例を示してもらえないと書けない(履歴書自己紹介欄)。
6 具体例を示してもらうと、それをなぞっただけのものを書いてくる(履歴書自己紹介欄)
7 語彙力がないため、類型的なものしか書けない。(履歴書自己紹介欄)
8 語彙力がないため、分量が書けない(履歴書自己紹介欄)。
9 自己について掘り下げて考えたことがないため、「長所」を説明できない。
10 「長所」の欄に、履歴書の内容にふさわしくないようなことを書いてくる。
【例】友達が一人もいないので講義は一回も休まずノートも一生懸命に取った、などと自己PRにふさわしくない文章を書く。この事例の場合、いい加減に書いたのではなく、自分の長所について真剣に考えた結果だという点に問題がある。
11 叱られたり注意されたりすると、窓口に来なくなる。
12 履歴書に大量の書き込み修正をすると、窓口に来なくなる。

B 就職活動に際して言語表現技術が果たす役割

 企業の人事担当者から評価されるような履歴書が書けること、エントリーシートが書けることは、大学における教育および学生の自覚的訓練の結果であって目的ではない。大切なことは、初年次からの教育をとおして学生が「深く物事を考える」姿勢を身につけられるような教育環境を整えることである。その基本になるのが、自覚的な訓練によって言語表現技術の向上を目指すことであろう。
 その指導の段階は、3つの階層(理解・意識・訓練)に分けるべきである。ただし、これらは言語表現技術を習得する前に必要な「人間生活」の基本である。
 1.知識として一度教えてもらって自分で理解できれば、身につくこと
    敬称の使い分け(「様」と「御中」)・宛名の書き方など
 2.学生生活の様々な場面において意識することで自然に身につくこと
    手書きの注意・レポート提出のルール・諸手続の方法など
 3.意識的な訓練(ある意味で肉体訓練の一種といえる)を重ねることで初めて身につくこと
    実験レポートなど、添削指導が必要なもの

 現状では、「氏名欄は殊の外に丁寧に書く」「手書きの文字の読みやすさをつねに意識する」「提出物は、内容はもちろんのこと形式要件を整えることが大前提である」など、知っていて当たり前のことを教えてもらった経験がない学生が大半である。その部分だけを捉えて「最近の学生は〜」と嘆く場合も多い。現状をふまえて、入学時から学部(学科全体)として指導するという教員間の共通理解が必要となる。1や2については、学部や学科の統一方針をまず策定する必要がある。その方針に基づいて、「ブレ」のない指導をすることで、学生の自覚を促し、指導効果を上げることができる。

C 以上A・Bを前提として初めて言語表現技術が始まる

 たとえば2004年度開講の「言語の世界」を「通年」履修した学生は、自己評価シートに次のように記している。

 前期と比べるとかなり文章を書く力がついてきた。はじめは「事実の記述」を書くことに苦労した。何回も注意を受けた。しかし後期の中頃から、上手くかけるようになった。そのことはレポートや言語表現演習の点数にも現れている。以前に比べて、文を作る速度・考え方・文の流れを整理できるようになった。

 言語表現演習を通じて、客観的に自分の文章を読み返すことを学んだ学生は、調べることの面白さや、考えることの楽しさを知るようになる。
 若者が変わってしまったのではなく、若者を指導できる体制が失われているだけのことかもしれない。

大阪工業大学言語表現技術研究会のホームページ
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