廃渚院観音寺鐘楼・梵鐘

お勧め度:★★

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説明  渚の院跡は惟喬親王(844〜97)の別荘であったとされています。惟喬親王は文徳天皇(850〜58在位)の第一皇子でしたが、立太子争いにやぶれ、憂さをはらすためしばしば渚の院にきたようです。「伊勢物語」には親王一行が交野ヶ原に遊猟にきたものの、渚の院で観桜や酒宴に興じ歌を詠むばかりであったと記しています。
 世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし  業平
この歌は、この時同行した在原業平が「院の桜ことにおもしろし」として詠んだものですが失意のうちにあって「のどか」でない惟喬親王の心境が詠みこまれていると解釈されます。  渚の院跡には観音寺が建立され12面観音を本尊としていましたが、明治初年の神仏分離により廃寺となり、本尊は渚の西雲寺に移されました。今に残る梵鐘は寛政8年(1796)の鋳型で河内鋳物師として著名であった枚方村金屋田中家次の作です。

実際に行ってきた感想
・保育園のよこに存在する。
・柵があり入れないようにしているが、誰でも鍵を借りることができそう(未確認)。

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