枚方宿


京街道は、大坂と京都・伏見とを結ぶ街道で、豊臣秀吉が、文禄3年(1594)〜文禄5年(1596)にかけて行った、一大治水土木事業によって造られた。その後、徳川家康が、慶長6年から五街道の整備を始め、京街道も東海道の延長とみなし、 現存する枚方宿・伏見宿・淀宿・守口宿が、設けられた。
枚方宿は、岡新町、岡、三矢、泥町の4つの村からなる宿場町で、東海道の中でも特に大きな宿場町として栄えた。時には、1300人もの大名行列が、枚方宿に泊まったこともあった。西洋医学を日本に伝えたシーボルト博士も、伏見を旅する途中、枚方宿で昼食をとったようである。
枚方宿の成立時期は、正確なことはわからないが、慶長6年〜寛永期の間に造られたようである。

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歴史街道

浄念寺と枡形


枚方宿及びその周辺には、多数の社寺があった。ここ浄念寺(浄土真宗本願寺派)近辺の寺だけでも専光寺(同前)・大隆寺(法華宗)・願生坊(真宗大谷派)・台鏡寺(浄土宗)・万年寺(真言宗)があった。 浄念寺は京街道に面し枚方宿の中央部に位置するため、各種の寄合場所や身分の高い旅人の宿舎としてもよく利用された。 平安時代前期草創の万年寺は明治初年に廃寺となり仏像や梵鐘は浄念寺に移された。枚方八景の一つ「万年寺の晩鐘」の鏡河内鋳物師田中家の鋳造で、宿住人に親しまれていた。ただし、先の戦争時に供出され、今はない。 浄念寺門前の屈折した道路は「枡形」を成し、宿内が攻め込まれても直進は許さないとする意志を表す装置である。

枚方宿


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