Memoirs of the Osaka Institute

of Technology, Series B

Vol.50,No.1(2005) pp.125

 

早坂忠の日本経済学史研究

 

上久保 敏

 

知的財産学部 知的財産学科

2005920日 受理>

 

Tadashi Hayasaka's Study of the History of Japanese Economics

 

by

Satoshi KAMIKUBO

Department of Intellectual Property, Faculty of Intellectual Property

(Manuscript received September 20,2005)

 

 

 

Abstract

 

 Tadashi Hayasaka was a historian of economics who took up not only economics of Europe and America but also that of Japan. The purpose of this paper is to focus on his study of the history of Japanese economics and to clarify its significance by describing the feature of his study.

 Although the study of the history of economics is prevailing in Japan compared with many foreign countries, the concern about the history of economics of Japan itself is small. Hayasaka pointed out thispeculiaritythat economics of Japan holds and became the pioneer of the history research of Japanese non-Marxian economics.

 Hayasaka paid attention to the development process of the Japanese economics instead of specific Japanese economists and was always conscious of its present condition.

 

 

 

 

 

*日本経済思想史研究会第16回全国大会にて口頭発表(2005年6月11日、山形県立米沢女子短期大学)

 

 

 

はじめに

 

 欧米の経済学史に偏りがちであったわが国における経済学史研究も、このところ日本の経済学の歴史を対象とする研究が進展してきた。近年における日本経済学史1)研究の高まりは日本経済思想史に関する最近約20年の著書・論文を対象とするサーベイ「研究動向シリーズ:日本経済思想史」(『経済学史学会年報』第4347号、平成1517)を生み出すにまで至っている。明治期以降を対象にした日本経済学史の本格的研究は加田哲二や住谷悦治、堀経夫らによって単行本が刊行された昭和9・10年を起点とすると、今日まで既に約70年の歴史を有することになる。

 平成17年に没後10年を迎えた経済学史家・早坂忠2)はそれまでに十分省みられることのなかった日本の非マルクス経済学史に光を当て、開拓者的役割を果たした。本稿では、早坂の日本経済学史研究を概観し、その特徴を描写することにより彼がわが国の日本経済学史研究に残した意義を明らかにしておきたい。

 

1.明治期以降を研究対象とした日本経済学史研究の流れ

 

 早坂忠の日本経済学史研究について論じる前に、まず戦前から昭和45年頃までの日本における日本経済学史研究の流れについて、欧米から科学的な経済学が導入される明治期以降を対象とした研究に限って、簡単にみておきたい。

 明治期以降の経済学を対象とした日本経済学史研究は昭和初期から始まっている。まず、三橋猛雄3)が「明治経済思想史資料解題(泰西経済学移入に関する文献)其一概目」(『文献』創刊号、昭和3年2月)を書き、西欧経済学の導入史に関する資料を解題した。その後、単行本についてみれば、加田哲二『明治初期社会思想の研究』(昭和9年)、 住谷悦治『日本経済学史の一齣』(同9年)、加田哲二『明治初期社会経済思想史』(10)、堀経夫『明治経済学史』(10)が刊行され、昭和9・10年に明治期の経済学・経済思想に関する研究は盛り上がりを見せた。

 戦時期は時局の進展とともに「政治経済学」が隆盛し、日本主義の経済学すなわち「日本経済学」が登場するが、日本的なるものが重視される風潮の中で日本古来の経済思想への着目が増え、日本経済思想史の研究熱が高まっていく。こうした中、本庄栄治郎は日本経済史の研究と並行して日本経済思想史を本格的に研究し、昭和17年に『日本経済学の成立』(昭和17)を上梓した4)。同書は小品ながら江戸時代の経済思想から第一次世界大戦後の日本主義的研究までを簡潔に振り返った通史的・啓発的な著作であった。

 終戦後は昭和45年頃までに次のような日本経済学史研究の単行本が刊行された。本庄栄治郎『日本経済思想史概説』(昭和21)、小山弘健『日本マルクス主義史』(31)、本庄栄治郎『日本の経済学』(32)、本庄栄治郎『日本経済思想史』(33)、住谷悦治『日本経済学史』(33年、増訂版同42)、塚谷晃弘『近代日本経済思想史研究』(35)、長幸男『日本経済思想史研究』(38)、小山弘健『日本マルクス主義史概説』(42)、守屋典郎『日本マルクス主義理論の形成と発展』(42)、日高晋編『日本のマルクス経済学(上・下)(42)。これらの著作はわが国における古典派経済学の導入史やマルクス経済学の研究史が中心であり、終戦時までの純粋経済学や政治経済学を扱った日本の非マルクス経済学史はほとんど省みられていない。

 もちろん、日本の非マルクス経済学史の研究が皆無であった訳ではない。単行本は見当たらないが、論文では、@鈴木諒一「理論経済学」(慶應義塾大学経済学会編『日本における経済学の百年』上巻、昭和34)、A真実一男「戦前までの近代経済学導入史」(『経済学年報』28、昭和43)、B関恒義「日本のブルジョア経済学の系譜とその批判(上・下)(『経済』5456号、昭和431012)が発表された。

 しかし、@は価値論、均衡理論、独占理論、利子論といったテーマ毎にまとめられており、終戦前の日本における純粋経済学の研究動向を通史的観点からは振り返りにくい構成となっている。Aは戦前日本の近代経済学の動向を通史的に整理しているが、マルクス経済学の視点から書かれており、一方的な評価や誤りも散見される。Bはマルクス主義のイデオロギーが色濃く出ており、客観的な記述とは言えない弊がある。

 昭和4610月から『経済セミナー』誌上で、わが国非マルクス経済学史研究の嚆矢とも呼べる早坂忠の連載「日本経済学史の諸断面」が始まる。この昭和46年以降に出た日本経済学史に関する主要な単行本を列挙すると、杉原四郎編著『近代日本の経済思想』(昭和46)、玉野井芳郎『日本の経済学』(46)、杉原四郎『西欧経済学と近代日本』(47)、難波田春夫『近代日本社会経済思想史』(48)、早坂忠・正村公宏『戦後日本の経済学』(49)、早坂忠・美濃口武雄編『近代経済学と日本』(53)、杉原四郎・長幸男編『日本経済思想史読本』(54)、経済学史学会編『日本の経済学』(59)、杉原四郎『日本のエコノミスト』(59)、辻村江太郎『日本の経済学者たち』(59)、杉原四郎・逆井孝仁・藤原昭夫・藤井隆至編著『日本の経済思想四百年』(平成2年)、テッサ・モーリス−鈴木『日本の経済思想』(藤井隆至訳、同3年)、杉原四郎『日本の経済学史』(同4年)、早坂忠『ケインズとの出逢い』(同5年)、池尾愛子『20世紀の経済学者ネットワーク』(同6年)、藤井隆至編著『日本史小百科 近代 経済思想』(10)、池尾愛子編『日本の経済学と経済学者』(11)、八木紀一郎『近代日本の社会経済学』(11)、杉原四郎『日本の経済学史』(13)、松野尾裕『日本の近代化と経済学』(14)、上久保敏『日本の経済学を築いた五十人』(15)等がある。

 昭和46年以降の上記著作の中には古典派経済学やマルクス経済学導入史だけでなく日本の非マルクス経済学史の研究を扱ったものも含まれている。相対的に欧米経済学史に比べるとまだまだ少ないものの、日本経済学史研究は着実に増えてきており、その中の非マルクス経済学史を取り扱った研究も進展してきている。以下で述べる早坂の日本経済学史研究はこれらの単行本の中でも本文中で紹介されたり、参考文献に挙げられており、この分野での先駆的業績として認知されている5)

 

 

2.早坂忠の学問遍路

 

  ここでは、早坂が日本経済学史研究に取り組むまで、どのような学問遍路を辿っていたかについて簡単にみておきたい。

 早坂は昭和28年に東大教養学部教養学科イギリス科を第一期生として卒業した。教養学科では木村健康や古谷弘に教わった。卒業前に早坂は社会に出るべきか勉強を続けるべきか、また勉強を続けるとすれば哲学を専攻すべきか経済学を専攻すべきか悩んだという。

 結局、彼は東京大学大学院社会科学研究科理論経済学専門課程へ進学し、そこで木村健康、宇野弘蔵、山田盛太郎、鈴木鴻一郎らの指導を受けた。いわゆる近代経済学(非マルクス経済学)だけでなく、日本のマルクス経済学の大家からも学んだという学問経験は、近代経済学、マルクス経済学にとらわれずに日本の経済学を相対的に見る眼を養うのにつながったと思われる。昭和30年度に提出された修士論文の題目は「ジョン・ステュアート・ミルの経済学方法論」6)であった。

  修士論文は内容的に経済学史の分野に入るが、早坂が経済学史を自分の専門とし始めたのが大学院時代であるかどうかは定かではない。イギリス科の助手となった昭和33年に古谷の指導下で村上泰亮と訳出したヒックスの『需要理論』(1956)を上梓しているし、昭和35年の「「二分法」問題についての覚書」(『経済学論集』26巻3・4号、昭和35年4月)もパティンキンの『貨幣・利子ならびに価格』(1956)における解釈を中心にしながら、ランゲ以来の「二分法」問題の概観を行っており、経済学史の論文というよりは狭義の理論経済学の論文であった。

 早坂が経済学史をはっきりと専門にするのは昭和3537年の英国留学の頃からではないかと思われる。この留学時に、彼はバーミンガム大学でイギリスの経済学史研究の第一人者であるT..ハチスンに師事した7)。留学から帰国後の昭和38年に「マーシァル「経済学原理」についての覚書―マーシァル経済学全体の中でみたときの「原理」版別異同の意義」(『社会科学紀要』12号、昭和38年6月)を発表した。

 以後、狭義の理論経済学に属する論文の発表はなく、本稿末の「早坂忠著作目録」で明らかな通り、早坂はスミス、J・S・ミル、マーシャル、ケインズ、ロビンズ、ヒックス、カルドア、ワルラス、シュンペーター等に関する研究論文や解説等を多数執筆した。特に日本の経済学史家の中でも日本経済新聞への執筆回数では群を抜いており、一般読者向けの経済学史解説という啓蒙活動にも当たった。東大教養学部教養学科のイギリス科に所属し、「J..ミルの社会主義論についての一考察」(『社会科学紀要』17号、昭和43年3月)、「マーシャル経済学における市場構造()()(()は『外国語科研究紀要』27巻3号、()は『教養学科紀要』12号、いずれも昭和54)、『ケインズ』(昭和44)などを発表、ミル、マーシャル、ケインズをはじめとするイギリス経済学を研究の中心にしていた。

 この他、『経済学史』(玉野井芳郎との共編著、昭和53)と『経済学史―経済学の生誕から現代まで―』(平成元年)の2冊の経済学史に関する教科書を編集、執筆している。訳書としてはJ.R.ヒックス著『ケインズ経済学の危機』(昭和52)、ケインズ著『平和の経済的帰結』(ケインズ全集第2巻、同52)などがある。また、“J.M.Keynes, The End of Laissez-Faire & A Short View of Russia(昭和56)など経済の古典を収録した語学テキストの編集・解注なども行った。

 以下では、このようにイギリス経済学を専門としていた早坂が日本経済学史の研究に取り組むようになる問題意識と彼の研究の概要・特徴について考察していきたい。

 

3.日本経済学史研究における早坂の問題意識

 

 当初はイギリス経済学の研究から始めた早坂がイギリス経済学だけでなく日本の経済学の歴史にも研究範囲を広げたその問題意識を明らかにしよう。早坂の「経済学はソフト・軟体化していいのか」(『季刊現代経済』61号、昭和60年4月)によれば、彼が戦時下の日本の経済学に関心を持ったのは大学の後半時であった。終戦時中学2年生だった早坂には、終戦直後の知識人・指導者層・ジャーナリズムのにわか変節が幻滅感や不信感をもたらす原体験となったという。早坂は大学時代に古本屋で、戦時期に隆盛した政治経済学の代表書の一つである難波田春夫の『国家と経済』第1巻(昭和13)を見つけた。同書を読んで早坂は、皇国史観一色に染まっているかのようにジャーナリズムが描く戦時下の経済学から受けていた印象とはおよそ違った本であるという感想を持った。後述するように、後年、早坂はたびたびこの難波田の『国家と経済』を引用して、同書の問題意識が現在にも通じることを示している。

 このように早坂は大学時代から日本の経済学に関心を持っていたが、昭和49年5月の段階で「日本における経済学の歴史にも注目しなければならないと早坂が真面目に考え出したのはせいぜい、六、七年前からで、戦後のそれへの関心は漸く三、四年前からのものである」8)と述べている。早坂は昭和42,3年頃から日本経済学史研究の必要性を認識したということになるが、実際、彼がこの分野について最初に書いたとみられる論文「西欧経済学と日本()(『教養学科紀要』)は昭和43年に発表されている。

 日本経済学史を研究する際の早坂の問題意識は、次の通り、この論文に明確に現れている。「日本の経済学者(そして類似のことは社会科学者全体にもかなりの程度まであてはまると思うが)は、これまでそのときどきの外国の経済学を受け入れ、そしてそれを解釈し多少とも展開することに精力を注ぎすぎるあまりに、日本の内部での展開過程(たとえ外国経済学の受け入れられ方の展開過程にかぎるにもせよ)には、非常にかぎられた注意しか払ってきていない。経済学の何よりも問題にすべきものが現在であることを思えば、これはある意味で当然のことであるが、(西洋)経済学史の研究がわが国で世界でも(おそらく)最も盛んであることなどを考えてみると、このことにも、やや奇妙さが生まれてくる。ケネーの『経済表』の出版(一七五八年)以来今日まで二百十年が経過しているが、日本で初めて近世西欧経済学の翻訳が出版された慶応三年以来今日までに経過した百一年はその半ば近くを占めているのであるし、スミスの『国富論』(一七七六年)以後を数えるならば、日本における西欧経済学の歴史は、既にその半ばを優に越えているのである。したがって、日本で経済学史の研究が盛んであるとすれば、素朴に考えると、日本内部での経済学の発展史も当然かなり研究されていてよさそうに思われるけれども、それからは程遠いのが実状である。このことには、後にある程度は触れることになると思ういくつかの理由がある。しかし、その理由が何であれ、そのような現象が奇異なことは奇異なのであって、少なくともその奇異さ加減にはかなりの注意が払われていてよいと思われるが、事実はこの点についての注意の払われ方もまたかなりに散漫である」9)。 

日本では、外国の経済学史に対する関心が他国には例をみないほど高いにもかかわらず、自国の経済学史への関心は驚くほど薄いという指摘は上記論文以降も早坂が繰り返し行うものである。

 早坂は「現在、日本の経済学界は、マルクス経済学も近代経済学も大きな転機にたたされているといわれているが、いま何が欠けており、どの方向に突破口を求めなければならないのか、ということのかなりの部分も、日本経済学界の過去の歴史を知ることなしには明らかにならないであろう」、「これまでの日本の経済学の歴史の大部分が既存の西欧経済学の輸入・咀嚼史であったことを考えれば、その輸入のされ方、咀嚼のされ方を通して、経済学というものの性質についても多くのことを教えてくれるはずなのである」10)と経済学の変革や革新に向けてあるいは経済学の性質を理解するためにも日本経済学史の研究が有用であると考えていた。日本の経済学の現況に対する強い関心が早坂をして日本経済学史研究に向かわせたのである。

 

4.早坂の日本経済学史研究の概要

 

  早坂の日本経済学史研究は@古典派経済学導入史、A終戦時までの非マルクス経済学史、B戦後の非マルクス経済学史、の3つに大きく分けることができる。以下、順にみていきたい。

 

()古典派経済学導入史

 日本経済学史に関する早坂の恐らく最初の論文「西欧経済学と日本()(『教養学科紀要』昭和43)は明治期の古典派経済学の導入史に関する論文であった。ここで彼は「西欧経済学の輸入が日本人のものの考え方ないし思考形態にどのような影響を与えたか、ないし、より限定して言えば、何故その長い歴史にもかかわらず余り大きな影響を与えなかったのか」11)を考察しようと試みる。この論文は未完であるが、早坂は西欧経済学が日本に根を下ろさなかった理由として、@西欧経済学を従来の経世済民の学として、ないし国家学として受容したこと自体が、かえって西欧経済学の背後にあってそれを生み出した思想を相対的に無視させてしまったこと、A西欧経済学の背後にある、国家とは区別された社会の意味が容易に捉えられなかったこと、の2点を指摘して結んでいる。

 また、明治期の代表的な経済学者の一人である天野為之を取り上げた「天野為之とJ..ミル(序説・T〜W)(『教養学科紀要』昭和47年、『外国語科紀要』同5659)では、ミルの経済学と天野の経済学の関係を考証的に探る。先に見た通り、早坂は修士論文でミルの経済学方法論を取り上げていたが、間に9年間の空白期を挟みながら5回にわたって掲載された上記論文は、イギリス経済学史と日本経済学史双方にまたがる研究論文であった。早坂はミルと天野の著作を丹念に比較しながら、両者の関係は稀薄であるという結論を導き出した。

  古典派経済学導入史に関する早坂の論文はさほど多くなく、彼の日本経済学史研究の中心をなしたのは以下で述べる戦前戦後の非マルクス経済学史である。

 

()終戦時までの非マルクス経済学史

@純粋経済学とケインズ経済学

  古典派経済学導入史やマルクス経済学研究史に比べ、日本経済学史の中で今日まで相対的に十分な研究が行われていないのは非マルクス経済学史である。

 早坂は昭和4610月号から4712月号まで12回にわたって、『経済セミナー』誌に「日本経済学史の諸断面」を連載した。「日本における経済学の歴史は経済学全体の歴史のほぼ半ばを占めているのであるから、日本で経済学史の研究が盛んであるとすれば、素朴に考えると、日本における経済学の展開過程にも(たとえ外国経済学の受け入れられ方の展開過程が大部分だとしても)当然かなりの注意が払われていてよさそうに思われるが、それから程遠いのが実状である。ことに、今日の日本でいわゆる「近代経済学」面について、そうであ

る」12) 。これがこの連載での早坂の問題意識であった。なお、早坂はこの連載を加筆修正の上、単行本にまとめる構想を持っていたようであるが、実現には至らなかった13)

 連載第1回目の「経済学との接触(「経済小学」から「情勢論」まで)」と第2回目の「社会政策学会」は純粋経済学導入までの前置きである。3回目以降で早坂は日本の非マルクス経済学史を本格的に描写していく。第3・4回目のテーマは「福田徳三とマーシャル経済学(上・下)」である。日本の経済学の科学的発展に大きく寄与した福田徳三に焦点を当てながら、同時に日本におけるマーシャル経済学の導入について考察している。続くテーマは「数理経済学への反応(上・下)(第5・6回目)であった。ここでも勧進元として中心的役割を果たした福田の経済学における数学利用への態度を検討しながら、数理経済学の導入に貢献した中山伊知郎や手塚寿郎等の知的営為を紹介している。

 早坂はこの連載の第7回目から3回にわたって「一般均衡理論の導入・定着過程(上・中・下)」を取り上げ、昭和10年頃までに日本の非マルクス経済学において主流になっていった一般均衡理論についてその導入・定着過程を中山や高田保馬、安井趨=A永田清、早川三代治等の仕事を中心に紹介している。こうした一般均衡理論を中心とするいわゆる「純粋経済学」の潮流に対する諸批判を整理したのが、第10回目「純粋経済学に対する諸批判」であった。ここでは、杉本栄一の純粋経済学批判や難波田春夫、板垣與一等の政治経済学、高島善哉の経済社会学が考察される。

 連載の締めくくりとなる第1112回目は「日本経済学会(上・下)」である。昭和9年12月に経済原論の担当者を中心にして組織された日本経済学会の実態はそれまでほとんど明らかにされてこなかった(同稿発表後今日までこの状況はほとんど変わっていない)。早坂は往時の文献に当たりながら、この日本経済学会の活動状況、報告内容等を紹介し、純粋経済学を中心とする戦時期の非マルクス経済学の学問状況に光を当てた。

 なお、早坂は「戦時期の経済学」(経済学史学会編『日本の経済学』昭和59)でも戦時期のわが国経済学界における一般均衡理論の定着、均衡理論をめぐる様々な潮流、計量経済学的研究を簡潔に考察している。

 また、「日本経済学史における高田保馬博士」(『季刊理論経済学』24巻2号、昭和48年8月)では、高田保馬の略伝を紹介した上で、高田の業績を一般均衡理論、利子論、勢力経済学を中心に整理し、日本経済学史上に位置づけている。早坂は「高田の勢力経済学を読むとき、いまはなはだ奇異なのは、当然そうであって然るべきであるにもかかわらず、「政治経済学」の必要が強く叫ばれてきている今日のわが国の学界において、ほとんどそれが何の影響も及ばしていないように思われることである」14)と自国の経済学を省みない日本の経済学の体質に疑問を呈し、経済学の現況との関わりで高田の勢力経済学について再考することの意義に触れている。

 単行本『ケインズ』(昭和44)を上梓し、ケインズ経済学に造詣の深かった早坂が日本におけるケインズ経済学の導入に興味を持ったのは当然のことでもあった。連載対談「わが国ケインズ経済学事始」(『週刊東洋経済』特集近代経済学シリーズ、昭和5255)では、巽博一、高垣寅次郎、千種義人、高橋正雄、西川元彦、村野孝、中山伊知郎、田中金司と対談し、日本へのケインズ経済学導入を巡る興味深い話を引き出し、対談を通じて得た雑感を「日本におけるケインズ経済学導入史雑感」(同上、昭和55年5月)にまとめた。

 この他に早坂は「ケインズと日本の経済学」(『別冊経済セミナー』(ケインズ生誕100)、昭和58年4月)を書いて、日本へのケインズ経済学導入史を丹念に検証し、これらの対談や論考を編集した『ケインズとの出逢い』を平成5年に刊行した。

 

A戦時期の政治経済学

 終戦時までわが国で行われた純粋経済学やケインズ経済学の研究は戦後になってわが国で非マルクス経済学が発展する土台となるものであった。したがって、前述した早坂の連載以降も戦前の純粋経済学の動向については他の経済学史研究者によってしばしば取り上げられている。しかし、純粋経済学を批判する戦時期の政治経済学は時局に迎合する訳のわからない非合理的な経済学という思い込みがあるためか、戦後取り上げられることはほとんどなかった。

 早坂はこの政治経済学を戦後初めて真正面から日本経済学史研究の俎上にのせた。「日本経済学史の諸断面(10)(『経済セミナー』昭和47年9月号)で、早坂は、戦時期の政治経済学の代表書である、難波田春夫の『国家と経済』(全5巻、昭和1318)や板垣與一『政治経済学の方法』(17)を引用し、「難波田や板垣のこれらの発言で注目されることの1つは、仮名づかいを現代風に直し、ほんの1,2の字句を修正すれば、それらを政治経済学の必要が(実質内容にはかなりの差があるにせよ)再び強く説かれている最近のものだ、といっても怪しまれない内容をもっていることであろう。経済学にかぎらず他の学問分野でも、第二次大戦前から戦中にかけての(広義の)体制側の発言中には、それが体制側のものであり、一面性を含んでいるが故に、戦後はほとんど省みられてきていないが、今日の問題に通ずるものもかなり含まれているのである。/当時の政治経済学への強い指向は、単に次第に強化された国家主義的傾向の所産だけでなく、それまでの経済学の狭隘性にたいする批判の産物でもあるのだが、・・・」15)と論じている。それまで、ほとんど省みられなかった戦時期の政治経済学が現代にも通じる意義を持つものとして早坂によって初めて評価の対象とされたのであった。

 「今日から見た戦前の経済学界―柴田〔敬〕教授の回想に寄せて―」(『エコノミスト』昭和511130日号)においても、戦前の国家主義的・全体主義的経済学の問題が戦後今なお不当に軽視されていると指摘した早坂は「戦時期の経済学」(経済学史学会編『日本の経済学』昭和59)で、難波田春夫『国家と経済』(昭和1318)、大熊信行『政治経済学の問題』(15)、板垣與一『政治経済学の方法』(17)を中心に戦後ほぼ抹殺されてきた戦時期の政治経済学の動向を整理し、「経済学の危機」との関係で今日に通じる問題意識を抽出した。彼は次のような総括を行っている。「十五年戦争期、ことにその後半は、暗黒の時代ないし(多分)恥ずべき時期として、これまでほとんど研究されてきていないが、このようにみてくると、決して「暗黒」の一語では片付けえない面ももっている。マイナス面のみで言及されがちな政治経済学も、時がたつにつれて神がかり的面を強めていったにせよ、既存の経済学に対する政治経済学者の批判も、決して無根拠な感情論のみから発していたわけではない」16)。早坂は「当時における「政治経済学」(およびその同類)流行の一つの大きな要因は、なかばそれに先立つ(「近代経済学」界内部でだけにせよ)静学的「純粋理論」の主流化であり、それに対する反発という点では、高島善哉の経済社会学も、前節で触れた杉本栄一の所説も、「政治経済学」と発想点を共有している面が少なくない」17)と解説する。早坂の頭にあったのは、経済学の行き詰まりや「経済学の危機」が戦時期の政治経済学登場前のわが国経済学の状況に似ていることへの警告であった。

 純粋経済学だけでなく、暗い谷間の時代の学問動向として戦後はほとんど無視されてきた戦時期の政治経済学にも焦点を当てて、客観的にこれを考察したのは早坂の日本経済学史研究の最大の貢献であった。

 

()戦後の非マルクス経済学史

  早坂は昭和48年に『日本経済新聞』紙上で正村公宏とともに「戦後日本の経済学」というタイトルで連載を行った。終戦から既に四半世紀以上が経過した戦後日本の経済学の軌跡について、早坂が非マルクス経済学を、正村がマルクス経済学を担当して描写した。この連載は翌年の昭和49年に日経新書より『戦後日本の経済学』という一書にまとめられ刊行された。早坂が執筆したのは「T 近代経済学の導入」「U 開花する近代経済学」「X 現代経済学の行方」であり、「Y 対談―戦後の社会と経済学」では正村との対談を収録している。

 同書で早坂は終戦直後と現在の類似性をまず指摘し、「近代経済学」という用語法の成立過程を明らかにする。そして、戦後におけるケインズ理論の定着、1955年頃からの線型経済学の流行、官庁経済学の興隆(官庁エコノミスト)、非マルクス経済学分野での実証研究の盛行、1960年代をリードした成長理論、大型合併に関する学者声明、アメリカ経済学の影響、「政治経済学」・「ラディカル・エコノミクス」などの現代経済学の行方、など戦後の非マルクス経済学の歩みをバランス良く概観している。また、巻末の正村との対談は当時の日本の経済学がマルクス経済学、非マルクス経済学を問わず、どのような課題や問題点を抱えていたかを知る上で今なお有益である。

 なかでも「X 現代経済学の行方」の次の言葉は日本の経済学の性質を考える上で注目に値する。「もとより、いったん〔経済学の〕危機の声があげられると、だれも彼もが危機を云々するというのも、戦後のわが国経済学界のその時々の流行テーマに対すると同様、これまた一種の大勢順応主義であって、この点だけをみれば、経済学の今後にも性急な期待は慎むべきであろう。だが帰すうはまだ定かならぬとはいえ、公共経済学や経済体制論等で現になされつつある営為をみれば、経済学や経済学者に不信感だけを抱くのも、これまた時期尚早というのが現状だといえよう」18)

  早坂は経済学史家らしい冷静な筆致で、日本の経済学の抱える大勢順応主義という負の性質を見極め、経済学の危機の流行や経済学・経済学者への一方的な不信感を抱くことを戒めたのである。彼は戦後日本の経済学の歩みを振り返ることが、同書刊行時に日本の経済学界で問題となっていた「経済学の危機」の解決に資するのではないかと期待していた。

 『戦後日本の経済学』の刊行から既に30年余りが経過しているが、同書のように戦後の経済学の動向を通史的に描写した単行本は今日まで一冊も刊行されていない。その意味で同書の資料的価値は今日でも大きい。

 

5.早坂忠の日本経済学史研究の特徴

 

  ここでは、以上概観した早坂の日本経済学史研究の特徴を4点にまとめ、整理しておきたい。

 

()通史的研究

 早坂の日本経済学史研究全般を考察してまず気付くのは、彼の関心は日本の経済学の潮流に向けられていたということであり、ここに一つの特徴がある。

 早坂の日本経済学史研究は純粋経済学やケインズ経済学の導入史、戦時期の政治経済学の動向、戦後日本の非マルクス経済学の流れなど、日本の経済学の歩みを概観する通史的研究が中心であった。早坂はイギリス経済学に関しては『ケインズ』(昭和44)という特定の経済学者を扱う単著を出していながら、日本の経済学については天野為之と高田保馬以外は特定の経済学者に焦点を当てた論文がない。天野についてはJ・S・ミルの経済学の導入との関連で取り上げており、高田については『季刊理論経済学』編集者からの依頼原稿である。福田徳三に関しては先にみた通り、連載「日本経済学史の諸断面」で2回にわたり集中的に論じているが、福田自身への強い関心に由来した執筆というよりは福田が日本の純粋経済学導入史を描写する上で無視できない大きな存在であることを受けたものである。早坂の関心は特定の経済学者の仕事に対してよりも日本における経済学の展開過程にあったと思われる。

 自国の経済学の歴史を省みないというわが国経済学の特異性を問題にするとなると、個々の経済学者について論じるよりはまず、今日まで日本の経済学がどのような道を辿ってきたのかを通史的に描写して、欧米の経済学史と比べた日本経済学史の特徴を明らかにすることが優先される。わが国では欧米の経済学史に関する教科書は多いが、日本の経済学史に関する教科書的な著作はほとんどない。日本経済学史研究の土壌を形成しておくという多分に啓発的な動機が早坂をして通史的研究に向かわせたと思われる。

 

()対談の活用

 次に早坂の日本経済学史研究の方法論をみてみると、一次文献に当たる丹念な調査に加え、日本の経済学を築いてきた大物の経済学者や当事の事情を知るキー・パーソンから直接聞き取りを行うという方法を採った点が特徴的である。彼は対談やインタビューを通じて日本の経済学をめぐる学問状況に関する証言を記録として残したのである。早坂が雑誌上で対談した相手は、安井趨=A巽博一、高垣寅次郎、千種義人、高橋正雄、西川元彦、村野孝、中山伊知郎、置塩信雄、田中金司、都留重人、木内信胤、小倉武一、有沢広巳と14名にのぼる。

 早坂が行った対談を読むと、彼の質問は当時の学問状況や日本の経済学を取り巻く社会経済状況を十分に踏まえた、よく準備された質問であることがわかる。例えば巽博一や千種義人との対談では戦前の東京商大(現一橋大)や慶應義塾における研究動向がわかるし、高垣寅次郎との対談ではケインズ『一般理論』の訳出事情について明らかにされ、ケインズ経済学の導入を巡る興味深いエピソードを知ることができる。また、安井趨≠ニの対談では戦前・戦後のわが国における純粋経済学・理論経済学の発展の一翼を担った代表的経済学者・安井の学問遍路が克明に記され、安井の目を通じた日本経済学史が鮮やかに語られる。

 早坂の対談の一部は安井趨&メ著『近代経済学と私―安井趨¢ホ談集―』(昭和55)、早坂忠編著『ケインズとの出逢い』(平成5年)に収録されているが、彼は対談者から戦前・戦後のわが国経済学の事情を的確に聞き出し、日本経済学史を研究する上での貴重な資料を残した。

 

()日本の経済学の特殊性への着眼

 これまでみてきた通り、外国の学説の導入に関心が向けられ、自国の経済学者の知的営為や自国の経済学の展開への関心が稀薄であるという日本の経済学の特殊性を早坂は問題にしていた。彼はさらに、「近代経済学」というわが国では当たり前のように使われている用語にも鋭く切り込み、この言葉の特殊性についても明らかにした。

 ソ連・東欧の社会主義体制の崩壊によって、近年は近代経済学対マルクス経済学という対立の構図は影を潜めたが、戦後日本の経済学の最大の特徴はこれら2つの経済学の併存であった。早坂は「近代経済学」という言葉について再三論じ、例えば「日本における「近代経済学」―その「近代」の特殊性について―」(『経済セミナー』昭和46年6月号)では、「近代経済学」という用語法について次のように注意を促した。「わが国のこの用語法は、単に国際的通用性をもたぬだけでなく、それが日本独特のものであることや、そのような用語法を発生させたわが国の特殊事情を十分心得たうえで使わないと、「近代経済学」や「近代経済学史」を問題にする際に、全世界的関連でみられた経済学の性格やその歴史について妙に独りよがりな議論を展開させる危険性をはらんでおり、現在では、むしろそのような難点の方が多いように思われる」19)。彼はここで「近代経済学」と“Modern Economics”の意味内容の違いを説明し、この「近代経済学」という用語の定着過程を検証して、「近代経済学」という用語法がいかに特殊かを強く訴えた。

 日本では、理論内容が異なるケインズもシュンペーターもともに近代経済学者として一括されてしまうし、非マルクス経済学であるという理由だけでガルブレイスは近代経済学側に分類されてしまう。早坂はこうした問題にも言及し、「「近代経済学」とは何か」(稲田献一・岡本哲治・早坂編『近代経済学再考』昭和49)で、1870年代以降の非マルクス系経済理論を一括して「近代経済学」と呼ぶことが、「近経かマル経か」というキャッチ・フレーズ的な言葉をはやらせることによって、問題を過度に単純化し、尖鋭化させてしまっていると指摘した。

 早坂はまた別のところで、「日本への西欧経済学の導入過程の全体像の形成を目指しての〔近経とマル経の〕共同というようなことが、「近経対マル経」問題の弊害を可能なかぎり打破することにも大いに役立つのではないか、というのが私のひそかな願いである」20)と述べている。彼は近代経済学対マルクス経済学という日本独特の現象がもたらす弊害を憂い、日本経済学史研究がこの弊害の解消につながることを期待していた。

 日本にとっては経済学は輸入学問である。輸入学問故の特殊性も免れない。欧米の経済学用語を日本語に訳出する上で何らかの問題が生じるはずであるが、日本の経済学界ではこの問題が等閑に付されてきた。早坂は次のように警告する。「いかに高度に技術化した社会が来ようとも、人間は単なる記号とは異なった言葉を使って生活していくし、自己の問題や感情・意志の大部分を、通常の言葉によって表現していく。したがって人間や社会問題との取組みは先ず言葉から始められ、言葉の意味を明確にしたり、言葉のうえで重要視されている問題を重要視していくことから始められなければならないはずだが、今日の日本では、この点が非常になおざりにされているのではなかろうか」21)

 経済学で用いられる専門用語には欧米人にとっては日常的な言葉が取り入れられている。欧米とは異なる文化を持つ日本で経済学の術語を日本語に置き換えるのは容易ではない。そこに専門用語の訳語が原語と微妙に異なる差異が出てしまう可能性がある。

 早坂はまた、日本の経済学や社会科学用語に絡む最大の難点として、「原語にはない意味合いを伴った訳語をあてたり、元来の(ないし日常の)日本語(ないし漢語)では相互に結びついていなかったものを結合して用いたりすることから生ずる難点」22)を挙げる。彼によれば、例えば、“utilitarianism”には「功利主義」、“pleasure”には「快楽」という訳語が与えられるが、これらの訳語は原語にはないマイナスの意味合いを伴っている。日本語では相互に結合して用いられなかった用語を結合させた訳語の例としては、“liquidity preference”の訳語である「流動性選好」がある。英米人なら資産を“liquidity”の高い順に並べるのは容易であっても日本人は資産と流動性という言葉が容易に結び付かず、流動性選好利子論を学ぶ以前に「流動性選好」という言葉で躓いてしまう。これまであまり指摘されてこなかったが、訳語の問題は日本の経済学にとって無視できない問題なのである。

 東大教養学部で英語の授業も担当していた早坂の言葉に対する感覚はこのように鋭敏である。彼の日本経済学史研究には日本の経済学の特殊性や訳語の問題に対する強い関心が色濃くにじみ出ている点にも特徴があった。

 

()経済学の現況への強い意識

 以上のように早坂は日本経済学史研究を通じて日本の経済学の特殊性を強く訴えてきた。特殊性に目を向けたのは、早坂にとって日本経済学史研究は単に日本の経済学の過去を振り返るためのものではなく、現在の状況を明らかにするためのものであったからである。

 昭和4648年は早坂の日本経済学史に関する論考が集中して現れる時期である。この時期は、昭和46年1月に宇澤弘文によって発表された「混迷する近代経済学の課題」(『日本経済新聞』)を契機として、わが国における「経済学の危機」の問題が盛んに議論されたときであった。

 早坂の「わが国経済学の現状についての思想史的考察()()(『季刊現代経済』4・5・7号、昭和47年3・6・11)には日本の経済学の現状への強い関心と問題を解決しようとする意欲が強く出ている。彼はこの論考で最近の経済学転機論について、いわば「この道はいつか来た道」であり、決して新しくないと指摘した。また、難波田春夫『国家と経済』(昭和1318)や板垣與一『政治経済学の方法』(17)、福田徳三『厚生経済研究』(同5年)を引きながら、過去にも経済学の行き詰まり論があったことを紹介した。

 彼は次のように述べている。「経済学の転機や、その新しい方向の必要を説く声は、最近ますます高まっているようである。このいやます声をまえにして、私は、親近感と違和感、共感と反発、期待と危惧の奇妙にいりまじった感じを抱かせられている。/いうまでもなく、親近感や共感・期待を抱くのは、既存の枠や方法にとらわれず種々の方向に経済学の範囲を拡大していこうとする現在の指向そのものには、大賛成だからである。では、なぜ違和感を感ずるのか。この点になると、要因は決して一つではない。最近になって突如として発生(ないし自覚)したかのような問題提起のされ方、過去のあまりの単純化、とるべき方向についての唱道者自身の知識の不確かさ、論者の過去の言説との関係、等々の問題が、妙に落ち着かぬものを感じさせるのであり、それらを考えると、現在の批判や新しい方向の模索も、内容こそやや異なれ、型としては、過去にもしばしばみられた、短命の流行に終わるのではないか、との危惧を拭いえないのである」23)

 早坂は現在の日本の経済学の状況を思想史的に振り返ることで、経済学の危機が一時的な流行としていずれ忘れ去られてしまいかねないことを懸念し、経済学史家としての立場から当時の経済学の状況を冷静に捉えようとしたのであった。

 経済学がかつて経験したことのないような危機に直面しているかのように喧伝し、正統派経済学への批判を強める論者に対して早坂は、「経済学はソフト・軟体化していいのか」(『季刊現代経済』61号、昭和60年4月)の中で「一方では相当程度まで部分的に共感はしながらも、他方、一言でいうと「何を今さら」という感じの方がはるかに強い」24)と醒めた目を向けている。早坂は、この論考でも最近の経済学の動向が戦時期の「政治経済学」にみられた純粋経済学への批判、経済学の拡大・隣接領域との結合志向と同じ轍を踏む危険性を指摘し、経済学が論理の背骨をなくして変幻自在なおよそ取りとめのないものになってしまうことを警告したのであった。

  晩年の著作『終戦直後のわが国における日本経済の将来に関する見通しについて』(日本交通政策研究会「日交研シリーズ」A-130、平成元年)では、早坂は終戦直後の日本人が日本経済の将来をどのように考えていたのかを外務省調査局編『日本経済再建の基本問題』(昭和21)を中心に検討し、次のように述べている。「しかし、もし仮に「パックス・ジャポニカ」の時代が来るとしても、強大な軍事力を持たず、またさしたる貿易摩擦や累積債務問題も伴うことなしに、いったいそれはどのような形で運営されていくのか。単に終戦直後の状態を顧みるためだけでなく、これらのことを考えるためにも、『基本問題』にはもっと関心が向けられてよいはずなのである」25)。現在の問題を考え、将来を展望する上で、歴史研究が有益な示唆を与えてくれることを早坂は常に強調したかったのである。

 結局、早坂にとっての日本経済学史研究はそれ自体が目的なのでなく、過去からの長い時間軸の中に現在の日本の経済学を置いてこれを客観的に分析し、歴史が教える有益な含意を引き出すことが目的であった。現在を理解するための歴史研究という観点から、常に経済学の現況を意識した研究であった点が早坂の日本経済学史研究の最大の特徴であった。

 

おわりに 

 

 自国の経済学を省みない傾向のあるわが国経済学界において、早坂はそうした日本の経済学の様々な特殊性を明らかにし、歴史研究を現代に活かそうとする問題意識をもって日本経済学史研究に取り組んだ。それは、古典派経済学の導入史やマルクス経済学の研究史が中心であったそれまでの日本経済学史研究に対して、十分に研究されてこなかった日本の非マルクス経済学史に初めて真正面から焦点を当てる開拓者的貢献となった。一方的なマイナス評価のみで片付けられてしまうことの多かった戦時期の政治経済学の動向にも現在の「経済学の危機」と関連づけて着目し、この分野の研究の進展に寄与するなど、彼の研究の意義は大きい。

 一方で早坂の日本経済学史に関する論考は、恐らく体調面での理由によると思われるが、未完のままのものや単行本への収録がなされなかったものが多く、その日本経済学史研究が一つの体系として完成しなかったのは事実である。しかし、日本経済学史研究史において早坂を日本非マルクス経済学史研究の先駆者に位置づけることには恐らく何人も異論はなかろう。早坂によって先鞭が付けられた研究を一層進展させていくことが、筆者を含む日本経済学史研究者の課題である。

 

 

<参考>早坂忠著作目録26)

T 著書・編著

地価分析のための基礎的研究(立正大学経済研究所研究報告6、佐藤隆三・折下功と共著)立正大学経済研究所、昭和44

ケインズ―文明の可能性を求めて― 中央公論社、昭和44

近代経済学再考 (稲田献一・岡本哲治と共編著) 有斐閣、昭和49

戦後日本の経済学―人と学説にみる歩み― (正村公宏と共著) 日本経済新聞社、昭和49

経済学史 (玉野井芳郎と共編著) 青林書院新社、昭和53

近代経済学と日本 (美濃口武雄と共編著) 日本経済新聞社、昭和53

ケインズ―著作と思想―(則武保夫・浅野栄一・白井孝昌・美濃口武雄との共著) 有斐閣、昭和53

経済学の知性史的考察 (伊東俊太郎・竹内啓と共編著) 東洋経済新報社、昭和54

ケインズと現代 (福岡正夫・根岸隆との共著) 税務経理協会、昭和58

古典派経済学研究(T)(編集) 雄松堂出版、昭和59

古典派経済学研究(V)(編集) 雄松堂出版、昭和61

ケインズ主義の再検討 (編著) 多賀出版、昭和61

経済学史―経済学の生誕から現代まで―(編著) ミネルヴァ書房、平成元年

終戦直後のわが国における日本経済の将来に関する見通しについて―外務省調査局編『日本経済再建の基本問題』(昭和21)を中心に 日本交通政策研究会、「日交研シリーズ A-130」、平成元年

ケインズとの出遭い―ケインズ経済学導入史― (編著)日本経済評論社、平成5年

 

U 訳書

需要理論 / J.R.ヒックス著 (村上泰亮と共訳) 岩波書店、昭和33

経済学と限界革命 / コリソン・ブラック他編著(岡田純一と共訳) 日本経済新聞社、昭和50

ケインズ経済学の危機 / J.R.ヒックス著 ダイヤモンド社、昭和52

平和の経済的帰結 / ケインズ[](ケインズ全集第2) 東洋経済新報社、昭和52

ケインズ 人・学問・活動 / ミロ・ケインズ編 (佐伯彰一と共訳) 東洋経済新報社、昭和53

経済学の革命と進歩 / T.W.ハチスン著  春秋社、昭和62

J.S.ミル初期著作集4 18401844 / J.S.ミル著 杉原四郎・山下重一編 御茶の水書房、平成9年

 

V 英語テキスト

Modern Economic Thought(『現代の経済思想』テーマ別英語読本5、早坂編、大津栄一郎注)研究社、昭和50

J.M.Keynes,The End of Laissez-Faire & A Short View of Russia(研究社現代英文テキスト27、早坂解注)研究社、昭和56

 

W 論文

「二分法」問題についての覚書 『経済学論集』26巻3・4号、昭和35年4月 

マーシァル「経済学原理」についての覚書―マーシァル経済学全体の中でみたときの「原理」版別異同の意義 『社會科學紀要』12号 、昭和38年6月

アルフレッド・マーシァルとイギリスの産業上の主導権と「純粋理論」 『社會科學紀要』13号、昭和39年5月

カルドアの理論 木村健康監修『現代経済理論のエッセンス』ぺりかん社、昭和39年9月

J.S.ミル「経済学原理」第4篇をめぐって 『社會科學紀要』14号、昭和40年4月 

ケインズとナショナリズム 『経済学論集』32巻4号、昭和42年1月 

マーシャルとワルラスとの関係についての一覚書  『社會科學紀要』16号、昭和42年5月 

ヒックス「価値と資本」 『経済セミナー』134(別冊付録)、昭和42年5月 

J.S.ミルの社会主義論についての一考察 『社會科學紀要』17号、昭和43年3月 

西欧経済学と日本() 『教養学科紀要』1号、昭和43年3月

ケインズとナショナリズム 館龍一郎編『ケインズと現代経済学』東京大学出版会、昭和43年9月

経済学事始に寄せて 『図書』昭和4311

超国家の自由経済論 『自由』1210号、昭和4510

10 1920年代のヨーロッパ 二 戦勝国の内政と外交  2ヨーロッパの経済的復興、3イギリス政治・経済の動向 『岩波講座世界歴史 26(現代3)岩波書店、昭和4512

日本における「近代経済学」―その「近代」の特殊性について 『経済セミナー』188号、昭和46年6月

近代経済学とライオネル・ロビンズ〔最近の宇沢弘文氏の所論にふれて〕 『経済セミナー』192号、昭和46年9月

マーシャル経済学形成過程についての若干の覚書―彼のジェヴォンズ「経済学理論」評との関連で 『社會科學紀要』2021号、昭和4610

日本経済学史の諸断面(1)―経済学との接触(「経済小学」から「情勢論」まで) 『経済セミナー』193号、昭和4610

日本経済学史の諸断面(2)―社会政策学会 『経済セミナー』194号、昭和4611

静的社会から産業革命へ―十八世紀イギリスの経済―  『十八世紀イギリス研究』刊行委員会編『十八世紀イギリス研究 朱牟田夏雄教授還暦記念論文集』研究社、昭和4611

経済学史研究の動向 ―主として1930年代にいたるまでの近代経済学史との関連で―  嘉治元郎・村上泰亮編『現代経済学の展開』勁草書房、昭和4612

日本経済学史の諸断面(3)―福田徳三とマーシャル経済学() 『経済セミナー』196号、昭和47年1月

日本経済学史の諸断面(4)―福田徳三とマーシャル経済学() 『経済セミナー』197号、昭和47年2月

日本経済学史の諸断面(5)―数理経済学への反応() 『経済セミナー』198号、昭和47年3月 

日本経済学史の諸断面(6)―数理経済学への反応() 『経済セミナー』199号、昭和47年4月 

日本経済学史の諸断面(7)―一般均衡理論の導入・定着過程() 『経済セミナー』200号、昭和47年5月

日本経済学史の諸断面(8)―一般均衡理論の導入・定着過程() 『経済セミナー』202号、昭和47年7月

日本経済学史の諸断面(9)―一般均衡理論の導入・定着過程() 『経済セミナー』203号、昭和47年8月

日本経済学史の諸断面(10)―純粋経済学にたいする諸批判 『経済セミナー』204号、昭和47年9月 

日本経済学史の諸断面(11)―日本経済学会() 『経済セミナー』205号、昭和4710

日本経済学史の諸断面(12・完)―日本経済学会() 『経済セミナー』206号、昭和47

11

天野為之とJ.S.ミル(序説)―西欧経済学と日本()― 『教養学科紀要』4号、昭和47年3月

わが国経済学の現状についての思想史的考察() 『季刊現代経済』4号、昭和47年3月

わが国経済学の現状についての思想史的考察() 『季刊現代経済』5号、昭和47年6月

わが国経済学の現状についての思想史的考察() 『季刊現代経済』7号、昭和4711

近代経済学史研究 近代経済学100(学界展望) 『経済学史学会年報』10号、昭和4711

終戦直後と現在の類似性(戦後日本の経済学@) 『日本経済新聞』昭和48年4月1日

わが国独特の「近代経済学」(戦後日本の経済学A) 『日本経済新聞』昭和48年4月30

ケインズ理論の定着(戦後日本の経済学B) 『日本経済新聞』昭和48年5月6日

ヒックス、サムエルソンをめぐって(戦後日本の経済学E) 『日本経済新聞』昭和48年6月17

線型経済学の流行(戦後日本の経済学F) 『日本経済新聞』昭和48年7月1日

花開いた官庁経済学(戦後日本の経済学G) 『日本経済新聞』昭和48年7月15

日本経済学史における高田保馬博士 『季刊理論経済学』24巻2号、昭和48年8月

大学内から実証研究の芽(戦後日本の経済学J) 『日本経済新聞』昭和48年9月2日

60年代をリードした成長理論(戦後日本の経済学K) 『日本経済新聞』昭和48年9月16

アダム・スミスの現代的意義 『日本経済新聞』(経済教室)昭和481012

反響呼んだロストウ理論(戦後日本の経済学M) 『日本経済新聞』昭和481021

大きい衝撃「アロウの定理」(戦後日本の経済学N) 『日本経済新聞』昭和4811月4日

イギリスの思想 『講座 英米文学史 13(批評・評論) 大修館書店、昭和4811

米国経済学の影響(戦後日本の経済学P) 『日本経済新聞』昭和4812月2日

「戦後日本の経済学」を終えて―“経済学の危機”はあるか― 『日本経済新聞』(経済教室)昭和481217

ケインズ 玉野井芳郎・松浦保編『経済学の名著 12選』学陽書房、昭和4812

経済学入門―後戦日本の名著から 『経済セミナー』229号、昭和49年4月 

ケインズの道徳哲学・序説―「ケインズ著作集」と最近のケインズ文献に寄せて 『季刊現代経済』18号、昭和50年6月

戦後日本経済研究史・文献紹介 正村公宏編『日本経済』(セミナー経済学教室8)、日本評論社、昭和50年6月

コンドラチェフ的世界はくるか 『月刊エコノミスト』昭和5010

経済学と功利主義 『リカーディアーナ』季報9(リカード全集\)、昭和5011

経済学史の復権@〜D 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和5011月7・9・1416

マーシャル経済学における正常性と競争 『社会科学の方法』9巻2号、昭和51年2月

×『国富論』二百年に思う 『日本経済新聞』昭和51年5月

マーシャルの経済成長論 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和51年8月8・101416

解説追記 ミル『自伝』岩波書店 昭和51年7月

マーシャル初期経済学論稿 『HOPEニューズレター』1号、昭和5111 

1930年代の経済学の状況() 『教養学科紀要』9号、昭和51 

今日から見た戦前の経済学界―柴田教授の回想に寄せて 『エコノミスト』5453号、昭和511130

邦訳「ケインズ全集」の刊行に寄せて 『書窓』26号、昭和52年1月

経済学の通説のウソ―A・スミスは自由放任論者か 『論展』4巻1号、昭和52年2月

マーシャルの一日本人翻訳者あて書簡をめぐって―最近のマーシャル研究の動向にも関説しつつ 『思想』633号、昭和52年3月

自由経済と世界経済 調査報告書『自由主義の前進』日本経済調査協議会、下巻、第2編第1〜4、7、10章、昭和52年3月

ケインズと功利主義と自由放任論@〜D 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和52年5月3031、6月3・5・6日

「経済学部史特集」によせて 『HOPEニューズレター』2号、昭和52年5月

経済学のパラダイム 根岸隆編著『経済学・理論篇』日本評論社、昭和5210

ジョン・メイナード・ケインズ 『経済思想―人とその時代』2、日本放送協会出版、昭和5210

1930年代の経済学の状況―1930年代の社会思想― 『社会思想史研究』1号、昭和52

12

「パラダイム」とMSRP 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和53年3月111318

20

エコノミクスとポリティカル・エコノミ―名称の変化と実質の変化 『外国語科研究紀要』25巻5号、和53年3月

経済学の新しい動向 『会計人コース』別冊、昭和53年4月

ジョン・メイナード・ケインズ 水田洋・玉野井芳郎編『経済思想史読本』東洋経済新報社、昭和5311

マーシャル経済学における市場構造() 『外国語科研究紀要』27巻3号、昭和54 

マーシャル経済学における市場構造()マーシャルにおける「部分均衡」分析 『教養学科紀要』12号、昭和54

福祉経済学の生まれるまで 日本医師会特別医学分科会リポート『ライフ・サイエンスの進歩』第6集(ライフ・サイエンスと福祉国家)春秋社、昭和5410

日本の近代経済学地図  『経済セミナー』298号、昭和5411 

J.S.ミルの経済学方法論と「経済学原理」() 『社会科学の方法』13巻4号、昭和55年4月 

J.S.ミルの経済学方法論と「経済学原理」() 『社会科学の方法』13巻8号、昭和55年8月

日本におけるケインズ経済学導入史雑感―「連載対談・わが国ケインズ経済学事始」を終えて― 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.52>昭和55年5月

中山伊知郎先生と経済学 『経済セミナー』305号、昭和55年6月 

ケインズの社会思想と国家観  『教養学科紀要』14号、昭和56

日本経済学史における高田保馬博士 高田保馬博士追悼録刊行会編『高田保馬博士の生涯と学説』創文社、昭和56年1月

中山伊知郎先生と経済学 中山伊知郎先生追憶記念文集刊行委員会編『一路八十年』中央公論社、昭和56年4月

ケインズとピグー@〜D 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和5610192111月3・7日

日本経済学史 経済学会連合会編『経済学の動向』第2集、東洋経済新報社、昭和57年2月

天野為之とJ.S.ミルT  『外国語科研究紀要』29巻3号、昭和56 

天野為之とJ.S.ミルU 『外国語科研究紀要』30巻3号、昭和57

天野為之とJ.S.ミルV  『外国語科研究紀要』31巻3号、昭和58

天野為之とJ.S.ミルW  『外国語科研究紀要』32巻3号、昭和59

×Reception and Influence of Modern Economics in Japan - mainly in connection with the economics of Keynes, Papers of the HES 9th Annual Meeting at Duke University、昭和57年5月

ケインズと貨幣 『経済セミナー』330号、昭和57年7月 

アメリカ経済学史学会大会@〜D 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和57年9月6〜10

欧米からみた日本の経済学 『経済セミナー』334号、昭和5711 

誤解多いケインズ批判―ハーヴェイ・ロードの前提めぐり 『日本経済新聞』(経済教室)昭和571124

シュムペーターと日本の経済学@〜D 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和58122731

Utility’の訳語をめぐる河上・福田論争に寄せて()() 『岩波書店河上肇全集月報』1415号、昭和58年3月

ケインズの社会思想と国家観  『季刊現代経済』52号、昭和58年3月

ケインズと日本の経済学 『別冊経済セミナー(ケインズ生誕100)』昭和58年4月

בTheory andConstructionin Alfred Marshall's Economics, Papers of the HES 10th Annual Meeting at Virginia University昭和58年5月

経済学史学会第10回年次会議 『経済学史学会年報』21号、昭和5811  

シュンペーターと経済学史  『経済セミナー』347号、昭和5812

国際会議出席報告:第10HES年次大会に出席して 『日本経済学会連合ニュース』20号、昭和59年3月

明治初期のミル邦訳についての断片的覚書 『日本「ミルの会」会報』5号、昭和59年4月

侘美光彦、加藤寛考報告「1930年代の経済」へコメント 根岸隆・伊藤誠編『二つの経済学―対立から対話へ―』東京大学出版会、昭和59年9月

戦時期の経済学 経済学史学会編『日本の経済学−日本人の経済的思惟の軌跡−』東洋経済新報社、昭和5911

最近におけるケインズ研究の状況 『経済学史学会年報』22号、昭和5911

一世紀前の「経済学の現状」@〜D 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和60年2月111316

経済学はソフト・軟体化してよいのか 『季刊現代経済』61号、昭和60年4月 

ジャッフェ「ワルラス論集」に寄せて 『三田学会雑誌』第78巻4号、昭和6010

二つの記念論文集〔福岡正夫『均衡理論の研究』、熊谷尚夫『現代資本主義の理論と政策』〕をめぐって 『創文』261号、昭和6011

脳裡・耳底に生きる柴田先生 『大道を行く―柴田敬先生追悼文集―』非売品、昭和62年5月

ケインズ主義は幻想か@〜E 『日本経済新聞』(やさしい経済学)昭和62年5月2630、6月1日

ケインズ経済学をめぐる最近の情況 『UP』184号、昭和63年2月

終戦直後の経済展望@〜E 『日本経済新聞』(やさしい経済学)平成元年3月31日、4月1・3〜6日マーシャル原理100年@〜E 『日本経済新聞』(やさしい経済学)平成2年3月23262830

 

X 対談・インタビュー・座談会

限界革命百年と近代経済学()(安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』186号、昭和46年5月

限界革命百年と近代経済学()(安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』189号、昭和46年7月 

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(1)(安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』209号、昭和4711 

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(2) (安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』210号、昭和4712

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(3) (安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』211号、昭和48年1月 

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(4) (安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』212号、昭和48年2月

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(5) (安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』213号、昭和48年3月 

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(6) (安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』217号、昭和48年6月 

私と近代経済学―ある学究のあゆみ(7) (安井趨≠ニの対談) 『経済セミナー』218号、昭和48年7月 

日本の社会思想と近代経済学(熊谷尚夫、清水幾太郎との座談会) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.403998号、昭和52年4月

『一般理論』の“熱病”が一橋を襲ったころ(わが国ケインズ経済学事始1、巽博一との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.424038号、昭和5210

東洋経済に結集した学界・実業界の管理通貨制度研究(わが国ケインズ経済学事始2、高垣寅次郎との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.43>昭和53年1月

慶應義塾の経済学研究と反マルクス主義体制論(わが国ケインズ経済学事始3、千種義人との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.44>昭和53年4月

マルクス手引きに読み進めた『貨幣論』と『一般理論』(わが国ケインズ経済学事始4、高橋正雄との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.45>昭和53年7月

“現場”からみた戦後・ケインズ論議の変遷(わが国ケインズ経済学事始5、西川元彦との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.46>昭和5310

「国際清算同盟案」の翻訳を手がけた生き証人として(わが国ケインズ経済学事始6、村野孝との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.47>昭和54年1月

シュムペーター経済学からケインズ経済学へ(わが国ケインズ経済学事始7、中山伊知郎との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.49>昭和54年7月

近代経済学とマルクス経済学(置塩信雄との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズ No.50>昭和5410

『貨幣改革論』に触発された私の金融論研究(わが国ケインズ経済学事始8、田中金司との対談) 『週刊東洋経済』<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.51>昭和55年1月

戦中・戦後の日本経済と経済学(都留重人インタビュー) 『週刊東洋経済』4371号<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.61>昭和57年5月

戦中・戦後の日本経済と経済学(木内信胤インタビュー) 『週刊東洋経済』4385号<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.62>昭和57年7月

農地開放と日本農業(小倉武一インタビュー) 『週刊東洋経済』4401号<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.63>昭和5710

戦中・戦後の日本経済と経済学―ワイマールと現代(有沢広巳インタビュー) 『週刊東洋経済』4427号<臨時増刊号近代経済学シリーズNo.65>昭和58年2月

マルクス、ケインズ、シュンペーター:資本主義の将来 (小池基之・竹内靖雄・福岡正夫・丸山徹との座談会) 『三田評論』835号、昭和58年4月

ケインズ政策の有効性を問う(月例経済論争、浜田宏一・加藤寛考との座談会)  『日本経済センター会報』439号、昭和58年5月

ある自由主義者の軌跡―河合栄治郎の思想とたたかい―(土屋清・関嘉彦との座談会) 『週刊東京大学新聞』昭和60年9月3日

教養学科発足期の木村健康先生(嘉治元郎・奥村有敬・柏木信一・川西進・村上泰亮との座談会) 木村健康先生追想録刊行委員会編『追想 木村健康』同委員会、平成元年6月

 

Y 書評

J.M.ケインズ著・救仁郷繁訳「説得評論集」 『日本経済研究センター会報』108号、昭和44年7月15日宮崎義一「近代経済学の史的展開」 『経済学論集』36巻3号、昭和4510

J.R.ヒックス「経済史の理論」(新保博訳)―経済史に新たな分析視角から接近 『季刊現代経済』1号、昭和46年6月

杉原四郎「西欧経済学と近代日本」 『甲南経済学論集』 13巻1号、昭和47年6月

青木昌彦編著「ラディカル・エコノミックス」 『日本経済研究センター会報』222号、昭和49年4月15

状況判断と論理と説得性 西山千明著『自由経済』 『論展』7号、昭和50年4月

型破りの経済学史を展開 カンタベリー著・上原一男訳『経済学:人・時代・思想』 『日本経済新聞』昭和5812月4日

『関西学院大学経済学部五十年史』 『図書新聞』昭和591222

平山朝治『ホモ・エコノミクスの解体』 『週刊東京大学新聞』昭和60年1月

塩野谷祐一『価値理念の構造』 『週刊東京大学新聞』昭和60年4月

熊谷尚夫『現代資本主義の理論と政策』 『Economic Today』2号、小学館、昭和61年8月

松嶋敦茂 「経済から社会へ―パレートの生涯と思想」 『社会思想史研究』10号、昭和61 

根岸隆「経済学における古典と現代理論」 『経済学論集』53巻1号、昭和62年4月

A・ギャンブル『イギリス衰退100年史』 『日本経済新聞』昭和63年1月3日

 

Z 辞典等 

朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、昭和52

(執筆項目:青木昌彦、青山秀夫、宇沢弘文、内田忠夫、金森久雄、熊谷尚夫、小宮隆太郎、柴田敬、高田保馬、高橋誠一郎、玉野井芳郎、東畑精一、中村隆英、難波田春夫、フリッシュ、古谷弘、森嶋通夫、安井趨=A脇村義太郎)

荒憲治郎・内田忠夫・福岡正夫編『経済辞典』講談社、昭和55(執筆項目多数)

 

[ その他

話したいこと、聞きたいこと 『こすもす』(東京大学教養学部教養学科イギリス科)1号、昭和35

海外での学生生活の体験から イギリス学生生活断章 『こすもす』4号、昭和38

社会人の目 一イギリス科一回生の弁 『こすもす』5号、昭和39

ひとりいること 『こすもす』6号、昭和41

「チボー家の人々」 『こすもす』7号、昭和43

剱御前小屋にて 一九五二年八月四日夜 『こすもす』8号、昭和59

哀慕と―そして、或いは言わでものことを 『こすもす』10号、昭和63

 


 

1)経済学は経済問題の狭義の分析道具を意味し、一方経済思想は狭義の分析道具だけでなくそれ以外のものも含んだものとして取り扱われるのが一般的である。しかし、何をもって狭義の分析道具とするかについて厳密に定義するのは難しく、その意味で経済学と経済思想とを厳密に区別するのは困難である。したがって、本稿では、経済学()と経済思想()とをほぼ同意語として扱い、わが国経済学の歴史を取り上げた早坂の論考・著書の表題には経済思想よりも経済学の表記の方が多いという事情を考慮して、原則として経済思想史よりも経済学史という表記を使うことにする。

2)早坂忠は昭和6年山形市生まれ、平成7年7月10日没。彼の詳細な年譜は管見の限り出ていないようであるが、東京大学広報委員会『学内広報』1,033号(1995.9.18)に東京大学教養学部署名の訃報が掲載されている。略歴に関する部分を引用しておく。「先生は、昭和28年東京大学教養学部教養学科をご卒業、東京大学大学院社会科学研究科理論経済学専門課程を終えられた後、昭和33年東京大学教養学部助手となり、講師・助教授を経て昭和58年8月教授に昇進されました。教養学部では、前期課程の英語教育の他、教養学科でイギリスの経済やイギリスの思想の授業を担当されました。また大学院では経済学史に関する教育と研究にたずさわられました。平成2年3月、東京大学教養学部を退官後は、学習院大学経済学部などにおいて教鞭をとられました」。『ケインズとの出逢い』(平成5年)の奥付によると、平成2年4月に学習院大学経済学部教授となり、平成4年5月に同大を退職している。

 なお、早坂と同じ山形県生まれの経済学者・大熊信行(明治26年米沢市生まれ)も早坂に先んじて日本の経済学に関する共通の問題意識を持っていた。大熊の次の指摘は重要である。「日本の経済学の歴史を知ろうとしてだれでも気のつくことは、その歴史を扱った本で頼るべきものが、ほとんどないという一事である。他方では、西洋経済学史と名のつく書物が、どうかすると一年に2冊も3冊もでるのみならず、経済学史の研究は世界的水準をぬく、などという誇りが語られている。この一見して矛盾とみえるもののなかに日本の学風の特殊性がある。目をあくまで海外にむけ、同国人の研究業績をかえりみない、という気風である」(大熊信行「日本経済学の現状と反省」、『季刊理論経済学』8巻3・4号、昭和33年2月20)

3)三橋猛雄は今はなき神保町の古本屋・明治堂の店主であった。三橋の日本経済思想史研究については拙稿「三橋猛雄と日本経済思想史研究―明治堂書店主三橋猛雄研究序説」(深井人詩編『文献探索 2003』、文献探索研究会、金沢文圃閣発売、平成15年」を参照せよ。

4)本庄栄治郎の日本経済思想史研究については、拙稿「日本歴史学派にみる「日本経済学」―本庄栄治郎と黒正巌―」(徳永光俊編『黒正巌と日本経済学』思文閣出版、平成17年、所収)を参照せよ。

5)例えば杉原四郎は早坂の「戦時期の経済学」(経済学史学会編『日本の経済学』、東洋経済新報社、昭和59年、所収)について次のように記している。「早坂忠が執筆した「戦時期の経済学」は、一九三一〜四五年という一五年戦争期の経済学を政治経済学と近代経済学を中心として論じたものであるが、この時期の経済学については従来省みられることがすくなかっただけに、早坂の調査(とくに一四五〜一七四頁)は貴重である。早坂の「日本経済学史の諸断面@〜I」(『経済セミナー』日本評論社、一九七一〜七二年)をも参照。」(杉原四郎『日本の経済思想史』関西大学出版部、平成13年、250251頁)。

6)早坂の修士論文の構成は次の通りである。序論、第1章「功利主義の修正」、第2章「歴史意識の覚醒」、第3章「『経済学の定義と方法』」、第4章「『論理学体系』に於ける社会科学方法論」、結語、主要引用並びに参考文献。参考文献も含めた分量は20字×10行×336頁。東京大学経済学部図書館で閲覧可能である。

7)早坂はハチスンの『経済学の革命と進歩』(1978)の訳書を昭和62年に春秋社から刊行している。

8)早坂忠・正村公宏『戦後日本の経済学―人と学説にみる歩み―』日本経済新聞社、昭和49年、4頁。

9)早坂忠「西欧経済学と日本(1)」、『教養学科紀要』1号、昭和43年3月、5253頁。

10)早坂忠「日本経済学史の諸断面()―経済学との接触(「経済小学」から「情勢論」まで)」、『経済セミナー』193号、昭和4610月、85頁。

11)早坂忠「西欧経済学と日本(1)」、『教養学科紀要』1号、昭和43年3月、49頁。

12)早坂忠「日本経済学史の諸断面()―経済学との接触(「経済小学」から「情勢論」まで)」、『経済セミナー』193号、昭和4610月、8485頁。

13)「戦時期の経済学」の注2で早坂は「拙稿「日本経済学会、上下」(『経済セミナー』一九七二年八月号・九月号)参照。同稿は、それに先立つ同誌所収の「日本経済学史の諸断面()(10)」とともに、かなり増補のうえ、雄松堂から単行書として刊行の予定である」と書いている(経済学史学会編『日本の経済学―日本人の経済的思惟の軌跡―』東洋経済新報社、昭和59年、174頁)。

14)早坂忠「日本経済学史における高田保馬博士」、『季刊理論経済学』24巻2号、昭和48年8月、58頁。

15)早坂忠「日本経済学史の諸断面(10)―純粋経済学にたいする諸批判」、『経済セミナー』204号、昭和47年9月、119頁。

16)経済学史学会編『日本の経済学―日本人の経済的思惟の軌跡―』東洋経済新報社、昭和59年、138頁。

17)同上、172頁。

18)早坂忠・正村公宏『戦後日本の経済学―人と学説にみる歩み―』日本経済新聞社、昭和49年、168頁。

19)早坂忠「日本における「近代経済学」―その「近代」の特殊性について」、『経済セミナー』188号、昭和46年6月、3233頁。

20)早坂忠「書評 杉原四郎『西欧経済学と近代日本』」、『甲南経済学論集』13巻1号、昭和47年6月、105106頁。

21)早坂忠(「‘Utility’の訳語をめぐる河上・福田論争に寄せて()」、『河上肇全集』月報14号、昭和58年3月、6頁。

22)早坂忠「経済学はソフト・軟体化していいのか」、『季刊現代経済』61号、昭和60年4月、43頁。

23)早坂忠「わが国経済学の現状についての思想史的考察()」、『季刊現代経済』4号、昭和47年3月、138頁。

24)早坂忠「経済学はソフト・軟体化していいのか」、『季刊現代経済』61号、昭和60年4月、36頁。

25)早坂忠『終戦直後のわが国における日本経済の将来に関する見通しについて』、日本交通政策研究会「日交研シリーズ」A-130、平成元年、25頁。

26)本稿執筆時点で暫定的に作成したものであり、完成したものではないことを断っておく。×印は筆者未見のもの。遺漏・誤り等をご教示いただけると幸いである。



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