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未来への「バトン」

建築学科 
教授 本田 昌昭

本田 昌昭
2018.10.16
  • 執筆者が編者・著者を務めた書籍『テキスト 建築の20世紀』(学芸出版社, 2009年)

    執筆者が編者・著者を務めた書籍『テキスト 建築の20世紀』(学芸出版社, 2009年)

  • 近代建築の作品分析のために研究室で製作した大型模型

    近代建築の作品分析のために研究室で製作した大型模型

  • 研究室で取り組んだ設計競技応募作品「太子の道を行く」(2018年日本建築学会設計競技全国入選)

    研究室で取り組んだ設計競技応募作品「太子の道を行く」(2018年日本建築学会設計競技全国入選)

 ものの「価値」とはどのように決定されるのでしょうか。「最新」という言葉には、現代的価値観が凝縮されているようにも思われます。テクノロジーが私たちの生活を豊かにしてきたことは言うまでもありません。工学とはまさにこの「テクノロジー」を探究する学問と言えます。そこは、古い技術が新しい技術によって凌駕されていく世界です。
 ところで、私の研究は、ある意味でこの「最新」という価値観からはほど遠いところにあります。私の研究室では、過去の建築、つまりは「最新」ではない建築を研究対象とした建築史研究を行っています。理系に位置づけられる工学部の中にあって、極めて人文学的な色合いの濃い専門分野です。私は、大学院以降、特には20世紀初頭の建築について、諸芸術との関係やその協働といった視点から研究を行ってきました。今から100年ほど前のことですから、「最新」どころの話ではありません。このようなカビ臭そうな研究に何の意味があるのでしょうか。それには、建築という存在の特殊性が関係しています。
 建築は、一旦そこに建ち上がると、そこにあり続けることをその定めとしています(すぐに壊されてしまう建築がないわけではありませんが)。建築は、そのような長い時間軸において成り立つものであり、否応なしにある時点とその未来、さらには過去を繋いでしまうものなのです。それ故私は、建築という創造的行為が、過去から未来へと「バトン」を繋ぐ営みであることを忘れてはならないと考えています。私たちは、「バトン」を繋ぐ中間走者の一人に過ぎないのです。今を生きる私たちは、過去からどのような「バトン」を受け取り、そして未来へとどのように「バトン」を手渡すのかについて責務を負っているのです。そのためには、過去を顧みることは不可避なのです。決してその行為は後ろ向きの作業ではなく、未来へと向けた発見的かつ創造的な営為なのです。
 私が研究対象としている建築は、一般的に「近代建築」と呼ばれています。産業革命以降、社会は根本的にその構造を変化させていくこととなりますが、それと呼応するように建築もまた、新しい歩みを始めます。そして、20世紀という新しい時代を迎え、建築は劇的にその姿を変えることとなります。この「近代建築」と称される建築やその考え方が、現代の建築や都市の基盤となっていることは言を俟ちません。つまり私の研究は、過去からの「バトン」の研究とも言えます。また私の研究室では、研究室に籠もって、ただひたすら書物や図面と睨めっこしているわけではありません。建築設計競技などを通じて、これからの建築や都市についての提案を繰り返しています。すなわちこの試みもまた、未来へと手渡す「バトン」の模索であり、その実践に他ならないのです。