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庄司正臣相談役ご逝去のご報告



【平成28年2月20日 ご自宅にて撮影】


大田了介先生を偲ぶ

 大阪工業大学名誉教授 北條 勝彦
(1965年3月 大阪工業大学機械工学科卒業)

 大田了介先生のご逝去を衷心よりお悔やみ申し上げます。
 私は昭和36年に大阪工業大学機械工学科に入学しまして、2年生、3年生では大田先生に工業熱力学や蒸気工学などを教授していただきました。そして、4年生では卒業研究でご指導をいただきました。卒業後、神戸大学大学院の修士課程、慶應義塾大学大学院の博士課程を経て昭和46年より大阪工業大学機械工学教室に奉職し、大田先生の担当される工業熱力学の演習の部分を担当させていただくと同時に研究室で卒業研究の指導を始めました。
 大阪工業大学機械工学科設立間もない頃の教室の教員構成は、企業や研究機関などで活躍されたベテランを中心に、若手では佐藤次彦先生、増尾龍一先生と大田了介先生が在籍されていました。この先生方の講義も魅力的で、学生の憧れの的でした。私は学部から大学院へと進む間に3人の指導教授に恵まれました。ご指導いただいたそれぞれの先生には、研究指導や研究への取り組む姿勢は勿論、社会人として大切なことも勉強させていただきました。大田先生は、豪放磊落、懐の深い先生で、「ゆとり」・「信頼」など精神面での大切なこと、趣味の分野でも多くのお教えをいただきました。先生は私の最も尊敬する恩師の一人でした。

 大田先生は日本機械学会でのご活躍のほかに、空気調和・衛生工学会(通称 空調学会)でも長年支部の重鎮として活動を続けられ、近畿支部支部長なども歴任されました。大田先生の推薦で私も支部や本部の役員などを務めさせていただきました。これらの活動を通して、空調学会の学生賞の推薦枠をいただきまして、研究室から20名を超える学生に「学生賞」を頂く栄誉に浴しました。
大田先生は定年の少し前に大阪工業大学高等学校(現 常翔学園高等学校)の校長に転任されました。これは先生の優れた人柄や人望が学園からの強い要請となったものと思われます。校長先生になられてから、私の研究室を訪ねてこられた際いろいろと話をお伺いしました。その中で、頑張っておられた当時の音楽の先生にグランドピアノを買ってやりたいとか、生徒のために教室にエアコンを設置してやりたいとか仰っていたのを覚えています。このように人にやさしくいつも周りに気配りされる先生でした。また、親しい高校の先生とキャンパスで顔を合わせたとき、笑顔で寄ってこられて高校の近況をお聞かせ頂いたことが何度もありました。こんなことからも校長先生と高校の教員の皆さんとの関係が非常に良いことが推察できました。

 大田先生の還暦のお祝いを機に、研究室の卒業生の会(知新会)が、私の研究室の卒業生や松島先生の研究室の卒業生を含めて組織されました。現在の機械工学科の同窓会でも多くの知新会のメンバーが精力的に活動しています。知新会の流れは、現在の機械工学教室でも桑原先生や松島先生の研究室に在籍する現役生へと続いています。

 大田先生は心臓のバイパス手術をされたのを機に校長を離任されましたが、元々ゴルフ、畑仕事、音楽、囲碁、グルメなど数多くの趣味をお持ちでしたので、引退後も病院通いと趣味のことで暇を持て余すことはなかったと思います。引退されてからは先生とお会いする機会は少なくなりましたが、学園の90周年記念のパーティーでお会いした時は大学や高校の教職員と懐かしく歓談をされておられました。最後にお会いしたのは、今年の2月、知新会からの「卒寿のお祝い」をお届けした時でした。少し衰えられたのかなという印象は受けましたが、頭はクリアで昔話に花を咲かせてきました。

 先生の逝去に際し、ご家族は「重篤な病気を抱えながら乗り越えて、人に信頼された偉大な父、偉大な夫でした」と回顧されています。それに、私もここで「偉大な先生でした」と付け加えさせて頂きます。大田先生のお教えは知新会を通して今も脈々と続いています。
先生のご恩に感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。

合 掌
平成28年9月23日ご逝去(享年91歳)

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