新たなまちづくりのシステムの構築をめざして

建築学科 
教授 岡山 敏哉

岡山 敏哉
2014.06.27
  • 図1 1916年のドイツの都市計画専門誌に掲載されたBebauungsplan

    図1 1916年のドイツの都市計画専門誌に掲載されたBebauungsplan

  • 図2 現在の日本の地区計画

    図2 現在の日本の地区計画

  • 図3 住宅地の地区設計案

    図3 住宅地の地区設計案

 建物を建てる場合、まちづくりの視点から定められたルールを守らなければなりません。例えば建物の大きさ(床面積の敷地面積に対する割合や高さなど)の最高限度が定められていて、そのルールはまちの姿を決定しています。このことから、都市計画研究室の主な研究テーマを、そのようなルールを決めるツール(道具)の成り立ち(時代とともに発展してきた過程)の解明と、その延長線上にある将来のまちづくりのシステムの構築としています。

 まず、その成り立ちについて紹介しましょう。日本の最初の都市計画法は、今からおよそ100年前、1919年(大正8年)に市街地建築物法(現行の建築基準法の前身)とともに定められました。このときは、日本の都市も近代化が進められていて、欧米並みの都市づくりが模索されていた時代です。そこで、日本の都市計画法や建築法の条文内容を検討する上で、欧米の制度、特にドイツ(プロイセン邦やザクセン邦)の制度を参考にしました。
 ドイツでは現在、建物に関するルールを定めるときに、その敷地が含まれている地区の将来の姿、つまり道路や公園の配置とともに、建物の建ち上がった状態をあらかじめ設計して、その設計に基づいた地区計画によってルールづくりが行われています。ドイツ語でこのような地区計画のことをBebauungsplan(ベバウウンクスプラン)と呼んでいます。当時もそのように呼ばれた計画があり、現在と比べると計画内容は「粗い」ものでしたが、同じようなシステムでまちづくりが行われていました(図1参照)。
 しかしながら、このBebauungsplanという言葉は、英語に直訳すると、Building Planとなるため、日本における1919年の都市計画法制定時の議論において、その内容が正確に理解されませんでした。このため、建築線や区画整理など、日本のいくつかのまちづくりのツールはドイツのそれとたいへんよく似ていますが、地区設計に基づいた計画によってまちづくりのルールを定めるというドイツのシステムと、全国一律のルールを各都市に適用するという日本のシステムはまったく異なるものになりました。

 次に、前述の経緯を踏まえて、これからのまちづくりのシステムについて述べましょう。1980年(昭和55年)に、この時もドイツのBebauungsplanを参考にして、日本の地区計画制度が定められ、地区毎のルールを定めることができるようになりました。しかし、それはドイツのような「必修科目」ではなく「選択科目」の性格を持っています。つまり、特に建物に関しては、基準となるルールを守れば、必ずしも地区計画で定められたルールを守らなくても良いというシステムになっています。また地区設計を行うプランナーの技量も充分とは言えず、内容的に見ると、100年前のドイツのBebauungsplanと同じレベルです(図1と図2とを比較してみて下さい)。
 このような日本の地区計画によるまちづくりの課題を解決するためには、そのシステムの改変とプランナーの育成が必要です。特にプランナーに対しては、地区において建物が建ち上がった姿をどのように描くかという地区設計(アーバン・デザイン)の優れた技量が求められます。そこで、都市計画研究室では、このようなまちづくりのシステムやツールに関する課題を克服するために、地区計画制度と地区設計技法とに関する研究・教育を行っています。(図3参照)

【図版の出典】
図1 Genzmer, Ewald: Bebauungsplan für Meißen, Der Städtebau, Jahrg. 13,
Heft10/11, S. 97ff., 1916.
図2 神戸市名谷町社谷地区・地区計画図、神戸市HPより
図3 大阪工業大学工学部建築学科都市計画研究室

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