リスクその3 ｢過剰発がんリスク10^-5はどうやって得られたか｣ー労働暴露の疫学調査ー(｢公衆衛生リスク通論｣抜粋)

大阪工業大学環境工学科講義｢公衆衛生リスク通論｣(渡辺)よりの抜粋です

過剰発がん死の確率

過剰とは､｢その暴露が原因となる｣という意味です｡一般に受け入れられている過剰発がん死の確率は10^-5です｡人は必ずいつか死ぬので､死者10万人のうちの1名が､そのことを原因とする死であったと見なされます｡

やや卑近な言い方を許してください｡

亡くなった人にインタビューします｡｢あなたの死因は､化学物質○○による肺がんですか?｣に対して､｢そうです｣と答える人が10万人に1人現れる状態です｡

しかし､肺がんは､その化学物質○○以外の原因でも発生します(2020年､日本では､死亡総数の5.5%)｡すなわち､10万人の死者のうち､5500人は､｢普通の肺がん｣で亡くなったことになります｡

5500人のうちの1人だけが､｢その化学物質○○を原因とする肺がんが死因であった｣ということになります｡

標準化死亡比（Standardized Mortality Ratio:SMR）

｢死者の5.5%は､『普通の肺がん』で亡くなる｣はずが､たとえば､ある集団では､その期待値よりも高い確率で､肺がん死が観察されたとします(たとえば､16.5%)｡この場合､5.5%の3倍なので､SMR=3.00であったといいます｡様々な言い方があるようで､SMR = 300と表現されたり､あるいは､RR(Relative Risk)の語が使われることもあります｡SMRは､最初は臨床医の直感から調査が始まります｡｢妙に､この集団では､この病気が多いな｣と｡

コホート研究

特定の暴露を受けた集団(コホート)に対して､疫学調査が可能になります｡｢呼吸由来のヒ素で肺がんが生じる｣場合のコホート研究を紹介します(Enterlineら 1995)｡たとえば､｢1940～1964年に銅精錬に従事した2802人の1986年までの死亡を観察し､曝露累積量12334 Y･μg/m³の集団でSMRが2.52であった(バックグラウンドでの総死亡に占める肺がん死の割合は5.34%)｣という結論が得られます｡この種の疫学調査は､｢死ぬまで､じっと見ている｣のです｡

Enterline PE, Day R, Marsh GM(1995)Cancers related to exposure to arsenic at a copper smelter.Occup Environ Med 52:28-32

計算1 10^-3の過剰発がん死リスクー労働暴露での容認されうるリスクー

上の事例を使いましょう｡死者10万人の場合､通常であれば､肺がんでの死者は5340人ですが､この集団では､5340×2.52 =13457 人が肺がん死しています｡その差､8117人はヒ素の吸入で引き起こされたということになります｡従事期間を40年間とすると､平均して､(曝露累積量12334 Y･μg/m³)/(40 Y)=308.35 μg/m³の暴露を受けたと推定されます｡以上のことから､

■■ 308.35 μg/m³なら､10万人中8117人

■■ 30.8 μg/m³なら､10万人中812人

■■ 3.08 μg/m³なら､10万人中81人

■■ 3.8 μg/m³なら､10万人中100人(=10^-3)

と､比例計算をすることができます｡

他の累積曝露量の集団についてもなされており､おしなべて､｢労働暴露3 μg/m³で､10^-3のリスク｣と結論づけられています｡

日本産業衛生学会 (2000) 発がん物質の提案理由ヒ素及びヒ素化合物. 産業衛生学会誌 42:186-192.

計算2 生涯過剰発がん死リスク10^-5の推定

｢労働暴露3 μg/m³で､10^-3のリスク｣から､生涯暴露に換算しましょう｡労働時間は､つぎのとおり､人の寿命の10%です｡

■■ 生涯の労働時間=(40年 × 240日/年 × 8 時間/日) = 76800 時間

■■ 生涯の日数=(80年 × 360日/年 × 24時間/日) = 691200 時間

従って､労働時間だけでなく､休みの日も､寝ているときも暴露すると考えれば､リスクは10倍になります｡この対比から､10^-5リスクのAs暴露濃度を計算します｡

■■ 生涯暴露3 μg/m³なら､リスク10^-2

■■ 生涯暴露0.3 μg/m³なら､リスク10^-3

■■ 生涯暴露0.03 μg/m³なら､リスク10^-4

■■ 生涯暴露0.003 μg/m³なら､リスク10^-5

となります｡

ところで､この数値は日本の環境基準になっていません(環境省資料によりますと､0.006 μg/m³が提案されていた形跡があります)｡ヒ素については､経口暴露､皮膚がんなど､他のリスクも存在すると同時に､ヒジキなどの日常食品にかなりの含有があり､一刀両断に決めにくかったものと思われます｡

中央環境審議会大気環境部会健康リスク総合専門委員会（第10回, 2010年5月31日)｢資料 5-2 ヒ素及びその化合物に係る健康リスク評価について｣

(おわり)

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