大阪工業大学 工学部環境工学科 循環基盤工学

リスクその5 毒性をどのようにとらえるか(｢公衆衛生リスク通論｣ 抜粋)

大阪工業大学 環境工学科 講義｢公衆衛生リスク通論｣(渡辺)よりの抜粋です

このページでは､薬物代謝や遺伝子関係など､学術専門用語として､正確性を欠く用語を使用しています｡生命科学者との対話から得た知識も多分に含まれ､わかりやすさと興味深さを重視したストーリー形式で表現しますのでご容赦ください｡各所､ご指摘いただけると幸いです｡

発がん性の証拠の強さ

IARC(国際がん研究機関)は､その物質が発がん性かどうかの証拠の強さでグループ分けしています｡

■■グループ1: ヒトに対して発がん性がある

■■グループ2A: おそらくヒトに対して発がん性がある

■■グループ2B: ヒトに対して発がん性がある可能性がある

■■グループ3: ヒトに対する発がん性について分類できない

です｡発がん性の強さを表しているのではなく､証拠がどれくらいあるかのランキングです｡最も確実な証拠は､疫学的な証拠です｡しかし､疫学調査は､長期にわたる暴露集団の観察に立脚したものなので､実験的に行うことはできません｡そこで､メカニズムと動物実験の両方で十分な証拠があれば､疫学的証拠に相当すると扱われるようになってきました｡この論理が適用された物質がPFOA(有機フッ素撥水剤の一種)です｡それまで､証拠が限定的ということでグループ2Bに入っていたものが､一気に､グループ1に格上げされたのです(2023年12月)｡

毒性の複雑さ1: ながらくリスクは｢発がんリスク｣であった

かつて、がんは死に至る病気として恐れられました｡1953年のワトソン・クリックによるDNAらせん構造の解明以来、「DNAがすべての根幹」的な考え方がひろまり､その後核実験場近くで撮影したアメリカの映画関係者のがん死が､｢放射能の影響なのでは｣という憶測とともに､｢放射能→DNA損傷→発がん｣という図式ができあがりました｡

毒性の複雑さ2: ｢変異原性｣(=DNAを損傷する強度)を測るーエームス法1971ー

発がん性､というより､DNA損傷の強度(｢変異原性｣と呼ばれます)を調べる方法が模索される中､1971年､ブルース･エームスは､画期的な方法を提唱します｡その方法は、｢生きていけないはずの微生物が変異原物質によって生きていけるようになることを見る｣ものでした｡

微生物を検出する最も簡単な方法は「培地法」です｡ペトリ皿に「培地」という栄養を敷き詰め、そこに試料を与え、37^oCで48時間培養します｡ペトリ皿に斑点が現れれば､生菌が増えたことになります｡

エームス法では､まず、一般的な寒天培地では生育できない特殊な微生物株(生育するためには外部からヒスチジンを与える必要があるような突然変異種株)をつくります｡この微生物株を一般的な寒天培地に塗布・培養しても、生菌は現れないはずです。

しかし、この培地に何らかの刺激を与え、この刺激が微生物株のDNAに作用し、｢先祖返り｣の突然変異を起こせば、一般的な寒天培地で生育できるような普通の株に戻ることがあります｡こうして生じた「現れないはずの斑点ができた」ということから､「その刺激は突然変異を起こす」ということを表しています。

Ames, B.N. 1971. The detection of chemical mutagens with enteric bacteria. In: Chemical Mutagens, Principles and Methods for Their Detection vol. 1 (ed. A. Hollaender), pp. 267-282. Plenum, New York.

使用する培地､薬剤に工夫をすることで､生菌の有無を調べる伝統的な方法と同様の操作で変異原という最新の情報を得ることができたのです｡この方法で､紫外線､X線､アルキル化剤､蛍光物質などの変異原性を検出しました｡しかし､いくつかの､よく知られている発がん性物質(たとえば､たばこ発がんの原因物質であるベンゾ-a-ピレンなど)で｢反応がない｣ことがありました｡

毒性の複雑さ3: 代謝毒性の発見からエームス法1973へ

(馬尿酸代謝)

体に入った異物を生体は排出しようとします｡よく知られた経路として｢馬尿酸代謝｣があります｡有機溶剤取扱者の健康診断で､尿中の馬尿酸を調べます｡これは､累積的にどれだけトルエンを吸入したのかを調べているのです｡体内に入ったトルエンを､生体は排出しようとします(図の(a))｡その方法は､体内で水溶性物質に変換し､尿として排出するのです｡馬尿酸は､トルエンが元になって体内で作られ､排出されたものです｡

辻本雄次(1986)環酸化と側鎖酸化. 生活衛生 30(2):110-112

(代謝は必ずしも無毒化ではない)

しかし､生体は必ずしも､正しい反応をするわけではありません｡トルエンを馬尿酸へ変換する生体機能は､草食動物が植物のアクを無毒化するために獲得した機能だと思われます(いや､もっと長い歴史があるはずです)が､燃焼に伴って発生するベンゾ-a-ピレンには､それほど慣れていませんでした｡ベンゾ-a-ピレンに対して､｢体内で水溶性物質に変換し､尿として排出･･･｣のアタックをすると､逆にラジカル反応を引き起こす物質を作り出してしまい､逆襲を受けてしまうのです(図の(b))｡この毒性を代謝毒性といいます｡

(エームス法1973)

エームスがこの代謝毒性を見逃すわけはありませんでした｡すぐさま着手し､1973年発表のS9-mix(えすないんみっくす)を添加する方法へ改良しました｡現在のエームス法です｡S9-Mixは｢ラットの肝臓をすりつぶして9000回転で遠心分離して得た抽出物｣です｡これをあらかじめ添加することで､それまでスルーしていたカビ毒(アフラトキシン)やたばこ発がん物質(ベンゾ-a-ピレンなど)の変異原性を検出することができました｡

以上の発見は､毒物代謝の進化が､いまだ途上にあって完璧ではないことを示しています｡横道にそれますが､植物をかんだときに感じる苦みやアクは毒です｡植物が｢自分の体を食べると死ぬぞ｣という毒を作って自己防衛しているのです｡その毒を克服して植物から栄養を得る生物が繁栄します｡植物はさらに毒を作り出し､食べる側もバージョンアップします｡苦みと渋だらけのドングリを､腹一杯食べて冬眠する熊の胃袋が薬になるのは､この機能によるものと考えられます｡

毒性の複雑さ4: 代謝しようとする生体反応信号を検出するーダイオキシン類とAhRー

ダイオキシン類の毒性は､最初､解釈が困難でした｡史上最強の毒物と言われた2,3,7,8-TCDDは､モルモットに対して0.0006 mg/kgの半数致死量を示したものの､ハムスターに対しては5 mg/kg以上の値を示しました｡しかも､モルモットの致死も､薬品投与直後ではなく､死ぬまで2週間以上の経過が必要でした｡｢体内で何らかの変化が起こっている｣のですが､それは､ベンゼン環を含む生体異物を代謝するAhR機能の暴走によるものでした｡このことを証明したのはノックアウトマウスによる実験でした｡ノックアウトマウスとは､実験的に作成されたAhR機能を持たないマウスです｡このマウスにダイオキシンを投与しても､毒性が発現しなかったのです｡AhR機能を暴走させ､しかも､代謝･分解されることなく生体内にとどまり続けることがダイオキシンの毒性であると考えられます(図の(c))｡

AhRとは､なんと､余計な機能なのでしょう｡ヒトのAhR機能を抑制すれば････と考えてしまいます｡しかし､ノックアウトマウスはもう一つのことを教えてくれました｡ノックアウトマウスは､他のマウスに比べ､小さくひ弱だそうです｡ほ乳類以外にもAhR機能を持つ生物は多くいます｡どうもこのAhR機能は､ホルモン信号､免疫など､生命調節機能をつかさどる本来機能の一つであることが分かってきました｡毒の研究が生命現象の解明につながった一つの例です｡

毒性の議論も大切だがその前にできることがある 難分解性に着目する

国際的に環境汚染化学物質を規制する枠組みとして｢残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約(2001年採択)｣があります｡POPsとは､難分解性､蓄積性､移動性､有害性を有する化学物質の総称です｡性質の順番を見ると､第一要件は難分解性です｡条約名の最初のPは､persistence (残留性)です｡毒性ではありません｡毒性の議論をひとまず迂回しているので｡難分解性であれば､｢環境に悪い可能性｣があるというスキームです｡

実は､毒性よりも難分解性を第一要件として規制対象とする枠組みは､POPs条約の約20年前に日本で成立した｢化学物質審査規制法(化審法)1973年｣に端を発していると､私は考えています｡化審法はPCBs油症を契機として成立した化学物質規制の法律ですが､油症の毒性メカニズム(議論が多くありました)に踏み込むことなく､難分解性である点に着目し､化学物質管理の制度を作ったのです｡まさに､先見の明です｡当時の通産省の官僚の優秀性をいま､感じます｡

地球環境汚染が移動性の重要性を示した ーグラスホッパー･エフェクトー

POPs条約は､単に化審法の焼き直しではありません｡化審法にはなかった大切な評価軸をもたらしました｡移動性です｡北極のアザラシでPCBsが検出されることはショッキングな報告でした｡PCBsは北極では使用されていません｡にもかかわらず､北極の動物の体内から見つかったのです｡これは､温帯域などで使用されたPCBなどの半揮発性化学物質が揮発して上空へ移動し､冬に寒い地方で凝縮･沈着し､再び夏に揮発してさらに寒い地方で凝縮･沈着し････を繰り返して､北極(もしくは南極)に濃集した結果です｡まるで､地球上のバッタが北極へ向かって飛び跳ねながら行進するように見えるので､グラスホッパーエフェクトと呼ばれます｡半揮発性物質(沸点にして200から400^oC)の物質がこの挙動を示します｡正確には､この移動性は長距離輸送特性ともいうべきもので､次に述べる神出鬼没の移動性とは別に扱われています｡

神出鬼没の移動性

長距離輸送特性を持つ化合物は難揮発性なので､しばしば親油性であり､化審法での当初の観点｢蓄積性｣の要件から､規制対象となるはずです｡しかし､以前の化審法ではおそらく規制対象とならないが､今日のPOPs条約で､最右翼におどりだそうとしている化合物があります｡撥水剤に使用される有機フッ素類(PFAS)です｡油分に偏在せず､水溶性なのですが､中程度の生物濃縮特性を持ち､いつのまにか､広範に汚染が広がっていたのです｡移動性が高いのです｡

毒性は複雑で､医学･生命学的に大変興味深いことですが､一方で､予防原則から､難分解性､移動性､蓄積性での化学物質規制は､現実的な選択です｡

(おわり)

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