今のスマートフォンやパソコンは、長時間使っていると熱くなりますよね。あれは、計算のために流した電気が「熱」
として無駄に逃げている証拠です。この研究は、そんな電力の無駄をなくし、究極の省エネを実現する「ブラウニアンコン
ピュータ(※1)」という未来の技術に関するものです。
この技術の主役は「磁気スキルミオン」という、磁石の中で渦を巻く非常に小さな粒子のような存在です。スキルミオ
ン(※2)には、水に浮かぶ花粉が水の分子に押されて勝手に動くように、熱エネルギーを受けて硬い磁石の中をランダムに動き回る(ブラウ
ン運動する)不思議な性質があります。
従来のコンピュータは、電気の力で無理やり情報を動かしていましたが、この新しい方式ではスキルミオンが「熱で勝
手に動く力」を利用します。人間はほんのわずかな電圧をかけて「こっちに行ってね」と交通整理をするだけなので、
外部から強い力を加える必要がなく、エネルギー効率が劇的に良くなるのです。
大阪工業大学ナノ材料マイクロデバイス研究センターに所属する鈴木教授らは、この粒子がどれくらいの「重さ(質量)
」を持ち、どう動くかという物理的な法則を計算式で明らかにしました 。さらに、粒子の動きを見極めて制御する「マ
クスウェルの悪魔」という物理学の有名な概念を応用し、情報の処理と熱エネルギーをうまく融合させる仕組みを提案し
ています。
これが実用化されれば、現在のコンピュータとは比べものにならないほど少ない電力で動く、超エコなデバイスが誕生す
るかもしれません。
※1 ブラウニアンコンピュータ:粒子の熱ゆらぎ(ブラウン運動)を計算資源として活用する超低消費電力型コンピュータ概念
※2 スキルミオン:磁性体中に生じる渦状スピン構造で、低電流駆動が可能な次世代情報担体
このイラストは、ブラウニアンコンピューティングの主役である「磁気スキルミオン」がどのようなものかを表しています。 スキルミオンは磁性体内で粒子のように振る舞う励起状態(※3)であり、外部からエネルギーを与えなくても、熱によって液体 中の微粒子のようにランダムに動き回る「ブラウン運動」をします。また、「トポロジカル保護(※4)」という性質により、熱 による撹乱の中でも消えずに安定して存在できる様子も表現しています。
※3 励起状態: 量子力学的な系(原子や分子)が、最も安定したエネルギーの低い「基底状態」から、
光、熱、電場などの外部エネルギーを吸収して、よりエネルギーの高い(不安定な)状態に移った状態のこと
※4 トポロジカル保護:トポロジカル保護とは、物質の内部構造(トポロジー)に起因し、外部からの摂動や不純物、欠陥に対して非常に
高い安定性(ロバスト性)を持って表面や端に現れる電子状態のこと
このイラストは、ブラウニアンコンピュータが「究極の省エネ」とされる仕組みを対比で示しています。左側は従来の計算機で、 外部から強いエネルギーを与えて無理やり動かす必要があるため、消費電力が大きい様子です。右側はブラウン計算機で、ス キルミオンが熱によって勝手に動く自然なエネルギー(ブラウン運動)を計算プロセスに利用するため、外部からのエネルギ ーはわずかな制御だけで済み、極めて高いエネルギー効率が実現できる様子を、川の流れに乗る船に例えています。
このイラストは、ブラウニアンコンピューティングにおける高度な制御技術を説明しています。研究では、スキルミオンがブラウン 運動で特定の方向へ移動しようとした時だけ電圧を加えてブロックするという、フィードバック制御が行われました。これは、 個々の粒子の動きを観察して選別する「マクスウェルの悪魔」の役割を、外部からの電圧制御によって実現し、川の流れを生み出したことに相当します。 この「情報を運動エネルギーに変換する」という、情報と物理が融合した最先端の概念を、門番のキャラクター(※5)で分かりやすく 表現しています。
※5 マクスウェルの悪魔:19世紀の物理学者マクスウェルが提唱した、熱力学第二法則(エントロピー(※6)増大の法則)
に反するように見える思考実験。気体分子の動きを見分ける「悪魔」が高速分子と低速分子を選別し、温度差を作り出すというパラドックス
※6 エントロピー:物理学(熱力学)においては「乱雑さ」や「無秩序の度合い」を示す指標
磁気スキルミオンを用いたブラウニアンコンピューティングの研究が実現すれば、これまで「無駄」とされてきた熱エネルギーを活用
する新しい情報社会が到来すると期待されています。現在のコンピュータは電気の力で情報を強制的に動かすため、多くの電力を
消費し、大量の熱を発生させています。しかし、この研究ではスキルミオンが熱によって自然に動く性質を利用するため、外部か
ら与えるエネルギーは最小限で済みます。その結果、データセンターやAIシステムの消費電力を大幅に削減でき、環境負荷の小さ
い持続可能な社会の実現につながります。
また、発熱が少なく超低消費電力で動作するデバイスが実現すれば、バッテリーが長持ちするスマートフォンや、体温や環境中
のわずかな熱でも動くセンサー機器の開発も可能になります。さらに、情報とエネルギーを融合させた新しい計算原理は、従来と
は異なる発想の人工知能や脳型コンピューティングの発展にも貢献すると考えられます。熱を敵ではなく味方に変えるこの技術は、
環境と調和しながら高度な情報処理を行う未来社会への鍵となるでしょう。