化学物質の環境運命 二重境膜モデルの入門的な式 廃棄物共存工学トップ
 
 

■■ 液相抵抗支配での水相ー気相間の物質移動について■■

 
(ここでは、「液相」、「水相」の両方が混同して使用され、十分な使い分けができていないが、容赦してほしい)
 

■ 1 境膜モデルの一般式から液相抵抗支配の式への変換 ■

 
 境膜モデルを図に表した。液相には液相バルク濃度CL[mol m-3]で、気相には気相バルク濃度CG[mol m-3]で化学物質が存在している。液相と気相が接触する面を界面とし、界面の両側に境膜がある。界面での液相の濃度CLiと気相の濃度CGiは平衡に達している。
 
H = CGi/CLi    (1)
 
ここで、H[-]は無次元ヘンリー定数である。
 
 
 液相側でのフラックスは、CLとCLiとの差を推進力とし、液相側物質移動係数kL[m s-1]を比例定数として、
 
(flux) = kL * (CL - CLi)  (2)
 
で表される。同様に、気相側についても、
 
(flux) = kG * (CGi - CG)  (3)
 
となる。ただし、kG[m s-1]は気相側物質移動係数である。
 気相側の濃度差CGi-CGが著しく小さい場合、界面でのCLiは「気相バルク濃度と平衡になる液相バルク濃度」CLeq[mol m-3]と近似的に等しくなる。すなわち液相抵抗が支配的な場合、(2)式は(4)式に書き換えることができる。
 
(flux) = kL * (CL - CLeq)  (4)
 
ただし、CLeqは式(5)でCGと関係づけられている。
 
CLeq = CG/H        (5)
 
次の節で、なぜ「気相側の濃度差CGi-CGが著しく小さい」と判断できるのかについて説明する。
 

■ 2 「気相側の濃度差が著しく小さい」とはどういうことか ■

 
 液相抵抗支配の代表的な例として、水相ー気相間のベンゼンの物質移動を取り上げる。密閉された容器内での、気相・水相・純物質の系を考える。気相には飽和蒸気圧分のベンゼンが存在し、水相に溶解しているベンゼンの濃度は飽和溶解度に達しており、それぞれ、平衡状態にある(図の左側)。
 いま、気相を開放し、気相バルク濃度がほぼ0に等しくなると、水相および純物質からベンゼンが揮発する。その揮発の速度[g m-2 s-1]を測定すると、純物質から揮発する速度の方がはるかに速い(図の右側)。
 
 気相側から眺めると、水相も純物質も、さきほどまで平衡に達していた相手であるが、水相からの単位時間・単位面積あたりの揮発量は、純物質のそれに比べて、著しく小さい(図では、矢印の大きさが違う)。このことは、(3)式 : (flux) = kG * (CGi - CG)から、水相-気相系の気相境膜の濃度差CGiーCG(図の右側で赤線で示した部分)が、純物質ー気相系の気相境膜の濃度差CGiーCG(図の左側で赤線で示した部分)よりも著しく小さいことと同義である。 例えば、水相から気相への揮発速度が純物質から気相への揮発速度の1%であるならば、水相ー気相間のCGiーCGも純物質の場合の1%であると推測される。すなわち、本末転倒な考え方なのであるが、「気相境膜の濃度差が小さいからフラックスが小さい」と考えるのではなく、「フラックスが小さいので、気相境膜の濃度差が小さいはずである」と考えているのである。
 
 「気相境膜の濃度差が小さい」ことから、液相境膜の濃度差(図では青線で示している)が大きくなるはずである。そうでなければ、水相と気相の相対的な濃度差を維持することができない。液相境膜の濃度差が、水相-気相間の濃度差(活量差と呼ぶ方が正しい)のほぼ全てを支配している。この状況を液相抵抗支配と呼ぶ。
 
 
以上、全体を見返すと次の論法になっている。
 
 


純物質に比べ、水溶液からの揮発は著しく遅い

気相側から見ると、気相境膜の濃度差は純物質ー気相系では大きいが、水相-気相系では小さい

水相ー気相系で、気相境膜での濃度差が小さいならば、液相境膜の濃度差が大きいはずである

液相境膜の濃度差が、水相ー気相間の濃度差のほぼ全体を支配していると考える = 液相抵抗支配


さらに、次に述べるもう一つ別の考え方であるが、ヘンリー定数が大きいと、気相から水相へ吸収された後に、水相での濃度が上昇する
と、水相から気相へ戻ろうとする。このような挙動を示すものも、水相の濃度と気相の濃度によって界面フラックスが決定されるので、
「液相抵抗支配」と同様の扱いをする。


 
















 
 
 
 

■ 3 どのような場合に 「気相抵抗支配」になるのか ■

 
 「気相抵抗支配」は、溶解度が著しく高いガスが水に吸収される場合に適用される。気相から液相へ物質が移動した後に、水相で物質が化学変化を起こすと、「水相から気相へ戻ってくることがない = 見かけ上、水相中の濃度は常に0」ということになる。
 
 この逆の状態であれば、「気相抵抗支配」ではなく、「液相抵抗支配」と見なすことができる。すなわちヘンリー定数が大きく、物質が水相に移行した後に、水相から気相へ戻ろうとするフラックスが生じるのであれば、このフラックスを液相抵抗支配として取り扱うことができる。
 

■ 4 無次元ヘンリー定数について ■

4.1 トルエン

 
 トルエンの無次元ヘンリー定数は0.22〜0.31である(渡辺・前川・森(2007)環境化学討論会、184-185)。CERI(化学物質評価研究機構)によると、673 Pa m3 mol-1 (25°Cでの測定値)と記されている。この値は、次のように無次元ヘンリー定数に変換することができる。
 水相1 m3で存在している量と、気相1 m3に存在している量を比較する。気相では気体の状態方程式 PV = nRT (P: 圧力[Pa] ; V: 体積[m3] ; n: モル数[mol] ; R: 気体定数 [J mol-1 K-1] ; T: 温度[K])が成立している。水相1 m3中に1 molが存在しているときには、気相中での分圧は673 Paであり、気相での濃度 n/V [mol m-3]は次のように計算される。
 
    (6)
 
 
すなわち、CERIが採用した値から無次元ヘンリー定数を求めると、0.27 となる。
 
4.2 酸素(O2)
 
 熱力学データベース thermo.com.v8r6+.dat(ジオケミストワークベンチのサイトにリンク)によると
 
  (7)
 
 
である。この式は、「気相に1 atmで存在する場合に、水相に1.26 ×10-3 mol L-1存在する」と読むことができる。気相に1 atmで存在するときの気相中濃度 n/V [mol m-3]は、
 
  (8)
 
 
であり、無次元ヘンリー定数は
 
  (9)
 
 
と計算される。
 

4.3 二酸化炭素(CO2)

 
 熱力学データベース thermo.com.v8r6+.datによると
 
  (10)
 
 
であるからHは、
 
  (11)
 
 
となる。
 
 

■5 代表的な物質移動係数kL(=MTCL)とkG(=MTCG)を適用した考察■

 

5.1 化学物質運命予測モデルで代表的とされる値

 カナダ環境モデルセンター(カナダ・トレント大学Centre for Environmental Modelling and Chemistry)では、実環境の代表値として、以下の値を示している。
 
kL = 0.05 〜 0.1 m h-1  (12a)
kG =5 〜 10 m h-1     (12b)
 
この直感的な意味は次の通りである。(12a)式からは、 1 hに移動する量(フラックス)は水深5 〜 10 cmに存在する量に等しいと予測される。(12b)式からは、 1 hに移動する量(フラックス)は気相柱5 〜 10 mに存在する量に等しいと予測される。当然、この両方の予測は一致しないが、次の例(O2の水への吸収)では、理解を深めるため、あえて両方の式で計算する。
 

5.2 O2への適用

 酸素(O2, 無次元ヘンリー定数 H = 32.45)を例に挙げて試算する。大気中O2の濃度は21%であるから、いま、その半分の濃度(便宜的に、活量0.5とおく)を考える。気相ではn=PV/(RT)= 101300*0.105/(8.3145*298.15) = 4.29 mol m-3、水相では4.29/32.45 =0.132 mol m-3である。気相O2濃度を活量0.01だけ増加させる(4.29 → 4.29*0.51/0.5= 4.38 mol m-3)と、気相から水相へのフラックスが生じる。
 
ー 1) 気相抵抗支配を想定した場合(この結果は、最終的には棄却される) ー
 
(flux) = kG × ΔCG                             (13a)
ΔCG = 4.38-4.29 = 0.09                          (13b)
(flux) = 0.9 mol m-2 h-1       (ただし、kG = 10 m s-1を代入した)    (13c)
 
 
ー 2) 液相抵抗支配を想定した場合 ー
 
(flux) = kL × ΔCL                             (14a)
ΔCL = (4.38-4.29)/32.45 = 0.0028                    (14b)
(flux) = 0.00028  mol m-2 h-1   (ただし、kL = 0.10 m s-1を代入した)   (14c)
 
 
ー 3) 気相抵抗支配と液相抵抗支配の比較 ー
 気相抵抗支配を仮定して計算したフラックスは、液相抵抗支配でのフラックスに比べて、Hで32.45倍、kGkLで100倍、あわせて3245倍の開きが生じる。ただし、気相O2が水相に溶解する過程は液相抵抗支配である(水相のO2濃度が上昇するに従って気相に戻ろうとするフラックスを生じる)ので、ここでは、気相抵抗支配の値は意味をなさない。
 図を見ると、kL×ΔCL(青い斜線)はkG×ΔCG(薄緑の斜線)より小さい。すなわち、液相側の抵抗が卓越して大きいので、そのフラックスが小さいことになる。逆に、HClの溶解であれば、HはO2のそれに比べて大変小さい値になるので、青い斜線の部分の面積が薄緑の部分をはるかに上回るようになる。この場合、小さい面積の方のフラックスが制限条件(律速)になるので、「気相抵抗支配」と見ることができる。
 すなわち、「気相抵抗支配」となればフラックスは液相抵抗支配のそれよりもはるかに大きくなることが予測される。実は、筆者が学生時代に学び、また、教員として学生に教えた学生実験 : 「総括物質移動係数 KLa の測定」では、水中の過剰の亜硫酸ナトリウムを溶解させ、亜硫酸塩イオンの減少速度を観察(ヨウ化カリウムとチオ硫酸ナトリウムで滴定する)し、その減少速度から単位時間に水に吸収されるO2量を予測するというものであったが、最初に教わってから30年を経過した今、あれは、果たして液相抵抗を見ていたのだろうかと、疑問に思っている。水に吸収されたO2が、SO32-をSO42-に酸化させるわけであるが、水相側でO2を引き込もうとする「化学的促進効果」があったのではないかと。SO32-の濃度が十分に低ければ、O2の物理吸収が律速になるので、その管理まで考慮に入れるべきである。
 現実には、KLaを求める目的は、曝気槽(供給されたO2は、水中で同時に消費される)のO2供給能力を知るためであるから、実は、こちらの方も程度の違いはあるものの、「化学的促進効果」が存在しているはずである。SO32-を用いる方法は簡便で、装置の性能を確認する方法としては実用的であるので、これからも使われると思われるが、厳密には、液相抵抗支配の界面移動を調べているのではなく、「化学的促進効果」(後述)が加わった界面移動を調べていることを意識するべきである。
 

5.3 CO2について

ー 1) 水中でのCO2の解離 ー
 次にCO2に適用する場合について考える。水へのCO2の吸収は複雑である。水中に溶解したCO2は、CO2(aq)としてとどまるだけではなく、HCO3-、CO32-としてイオンに変化する。その反応式は、
 
 
である。各化学種の存在比率を棒グラフで表示し、ヘンリー定数を計算したものが次の図である。
 
pH 7の条件でHCO3-の濃度はCO2(aq)の4.5倍であるが、pH 8であれば45倍、pH 9では450 倍に増加する。pH 10以降ではHCO3-のみならず、CO32-の寄与も加わり、pH11以降ではCO32-が最も支配的な化学種になる。
 すなわち、気相のCO2が水相に移行したあとで水中で解離すると、水相にいくらCO2を吸い込んでも、水相のCO2濃度がなかなか上昇しないことになる。界面境膜内で、解離反応が起こると、水相への移行を促進する効果(化学的促進)が起こるものと予測される。この効果はpHの上昇に伴って大きくなるはずである。
 
ー 2) 大気と海洋でのCO2交換に関する知見 ー
 ところで、CO2の気相ー水相間の界面移動は、海洋が大気中のCO2を吸収する・もしくは大気中のCO2を放出する過程であるので、気候変動に関わる研究分野として相当の蓄積がある。この分野での取り扱いは次のようになっている。
 
1) 気相のCO2濃度(実測)とヘンリー定数から、「この気相と平衡な水相CO2濃度」を求める : CG/H = CLeq
2) 平衡器を使用して「水相のCO2の分圧」を実測し、ヘンリー定数から水相のCO2濃度を求める : CL
 
以上の方法で得られる濃度の差を算出し、これがフラックスと比例するものとしている。
 
(flux) = kL × ΔCL                             (16a)
ΔCL = CL - CG/H = CL - CLeq                         (16b)
 
比例定数kLは、物質移動係数であり、風速によって大きく変化し、無風で3 cm h-1、風速10 m s-1付近でkL = 20 cm h-1くらいになる。図は、Wanninkhofの2009年の総説に掲載された図に数式等を書き込んだものである。
 水中でCO2が解離する反応による化学的促進については、中性域からpH 10くらいまでは考慮する必要がないとされている。
 さきほどのヘンリー定数がpHによって大きく変化する議論から考えると、pH 7からpH 10は一段解離のHCO3-が主要となる領域であり、pH 11以降は二段解離のCO32-が支配的となることから、化学的促進に寄与する解離反応はHCO3-からCO32-への反応であることが考えられる。しかし、そのメカニズムや定量的な検討については、今後の検討が待たれるところである。
 
大気と海洋のCO2の交換に関わる文献として参考にしたものを以下に記す。
Liss PS, Slater PG (1974) Fluxes of gases across the air-sea interface. Nature 247:181-184
Wannikhof R(1992)Relationship between gas exchange and wind speed over the ocean. J Geophys Res 97: 7373-7381
Takahashi T, Feely RA, Weiss RF, Wanninkhof RH, Chimpan DW, Sutherland SC, Takahashi TT(1997) Global air-sea flux of CO2: An estimate based on measurements of sea-air pCO2 difference. Proc Natl Acad Sci USA 94: 8292-8299
Wanninkhof R, Asher WE, Ho DT, Sweeney C, McGillis WR (2009) Advances in Quantifying Air-Sea Gas Exchange and Environmental Forcing. Ann Rev Mar Sci 1: 213-244
なお、日本語で書かれているものとして、次のものがある。
杉本裕之・平石直孝(2009)北太平洋亜熱帯における大気-海洋間の二酸化炭素フラックス推定手法の開発_測候時報: 76 s171-s187
中岡慎一郎 (2012) 長期観測を支える主人公 ー測器と観測法の紹介ー 3 海洋に溶ける温室効果気体の挙動を探る:海洋二酸化炭素濃度測定システム地球環境研究センターニュース Vol 23 No 7 201210_263006 http://www.cger.nies.go.jp/cgernews/201210/263006.html
 

■ 6 kLの測定方法 ■

 
水中の対象となる物質の濃度の時間変化を計測することで、kLを求めることができる。初期濃度CL0から、減少して0に向かう場合(水相から気相へ移行するフラックス)と、増加して一定値(飽和値)に収束する場合(気相から水相へ向かうフラックス)がある。実験の概略を図に表した。
 
 
数学的な取り扱いは次のようになる。物質収支の基礎式は、
 
        (17)
 
 
 
水相から気相へ向かうフラックスの場合には
 
                  (18a)
 
 
気相から水相へ向かうフラックスの場合には、
 
                 (18b)
 
 
である。ここで、V: 水相の体積 V [m3]、CL:対象となる物質の濃度[mol m-3]、CL0: 対象となる物質の濃度の初期値、 CLeq: 対象となる物質濃度の収束値、A: 水相と気相の界面の面積 [m2]、kL : 物質移動係数[m s-1]である。(18a)式は、数学的には、(18b)式でCLeq=0としたときと同一であるが、フラックスの方向が異なるので、実験としては、別のものであるとして扱っている。
 いずれの系でも、解析解を求めることができ、
 
水相から気相へ向かうフラックスの場合には
 
                   (19a)
 
 
 
気相から水相へ向かうフラックスの場合には、
 
         (19b)
 
 
 
となる。計測値をプロットして、「半減期に相当する時間」 T1/2を求めると、次式によって、kLを得る。
 
                 (20)
 
 
 
 
直感的なイメージは次の通りである。kLは「単位時間あたりに交換する水深」であるから、水深 1 mの柱状の水槽を考えたとき、kL = 10 mm min-1であれば、1分間に1%が系外と交換することになり、この場合の半減期に相当する時間は、0.693/0.01 = 69.3 min となる。水深が半分の500 mmになれば、1分間に2%が系外と交換することになり、この場合の半減期に相当する時間は、0.693/0.02 =34.65 min となる。