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君に薦める一冊の本

勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版

勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版

著者:千葉雅也

工学部 建築学科本田 昌昭 先生推薦

勉強とは、バカな私が利口になるためのものであるはずなのですが、この本では「勉強とは自己破壊である」と何やら物騒なことが書かれています。

著者の千葉雅也さんは、会社や学校といった環境における日々の行動は、他者への対応がスムーズに、深く考えなくてもできるようになっている、と述べています。そして、だからこそできることがあり、できないことがあるというのです。環境における「こうするもんだ」、すなわち環境の「コード」の中を無意識的に、もしくは意識的に生きているのです。出る杭として打たれることを避け、中毒的に「いいね」を連発しながら。著者は、このような環境の「コード」への「ノリ」の中を生きる人々を保守的な「バカ」と呼び、そのような共感、あるいは同調圧力とも言い換えられる状況から「自由」になることを勧めています。言うまでもなく、勉強するのはこの保守的な「バカ」となるためにではなく、むしろこのように環境に癒着していたそれまでの自分を「破壊」するための勉強の必要性を説くのでした。

この環境の「コード」による「拘束/依存」から自由になるための方法として著者が持ち出すのが、関西人には馴染み深い「ボケとツッコミ」です。本書で「ボケとツッコミ」は、「コード」を転覆する対極的な方法として位置付けられています。ここでの「ツッコミ」とは、議論や思考の前提とされているような「当然のこと」に対して「そうじゃないんじゃない」とちゃぶ台を返すこと、つまり「当然」を疑って批判すること、一方「ボケ」とは、議論の文脈から意図的に逸脱する「ズレた発言」をすることと定義されています。

読書とは、ある時には「ボケとツッコミ」を通じた著者との、さらには、もう一人の私との「掛合い的対話」なのではないでしょうか。書かれてあることに「何でやねん」とツッコミ、書き手の意図に対してボケて、連想の連鎖の中で妄想を膨らませたりと。ただし、私のボケやツッコミに本は応えてはくれません。それ故、私のボケには、ツッコんでくれるもう一人の私という「相方」が必要となります。本を読むということにおいて、書かれてあることを理解し、楽しみ、そして学ぶことがその基本にあることは言を俟ちません。しかしそれは必ずしも正確に行われず、読み手の知識や経験等に基づいた解釈が介在することとなります。書かれてあることを鵜呑みにするのではなく、私ともう一人の「私」との「ボケとツッコミ」を通じて「当たり前」という環境の「コード」から自由となる可能性が開かれるのでした。読書は、私たちを「自由」にしてくれるのです。

「ボケとツッコミ」に終わりはありません。一つの「コード」の転覆は、新たな「コード」の生成、あるいは移行を意味します。それ故私たちの「自由」は、環境の「コード」に回収されることから逃れ続けるところにしか獲得され得ないのです。

目の前の「当たり前」から自由となるための「ボケとツッコミ」、始めてみませんか。

※図書館報『ぱぴろにくす』122号にご寄稿いただきました。

請求記号・資料ID

大宮本館
002||C 91230555
梅田分館
002||C 97230132
枚方分館
080||B 98230231